ピーター・サヴィルが山本耀司を語る

今回は、グラフィックデザイナーのピーター・サヴィルが山本耀司について語ります。
ピーター・サヴィルは、とても詳しいところまで語っています。

 

ピーター・サヴィル

ヨウジヤマモト433 1986年秋冬カタログ ニック・ナイトヨウジヤマモト 1986年秋冬
「Yohji Yamamoto V&A」より
ISBN978-1-85177-627-6

 

  • ヨウジヤマモト
    1986年秋冬のカタログ
    撮影:ニック・ナイト
    グラフィックデザイン:ピーター・サヴィル
    アートディレクション:マーク・アスコリ

ピーター・サヴィル(Peter Saville)

  • 1955年 マンチェスターに生まれる
  • 1975年 マンチェスター・ポリテクニックでグラフィックデザインを学ぶ
         (-1978年)
  • 1979年 ファクトリー・レコードの設立メンバーの一員となる
         ジョイ・ディヴィジョン、ニューオーダーのアルバムカバーを製作する
  • 2003年 ロンドンのデザイン・ミュージアムで個展を開催
  • 2005年 チューリッヒのミグロス美術館で個展を開催
  • 現在はロンドンをベースに活動を行う

Art,Fashion,and Work for Hire」(ISBN978-4-990-48780-5)という本で、ピーター・サヴィルが山本耀司について語っています。

以下に、ピーター・サヴィルの言葉を引用します。

 

ヨウジはアーティスト肌

ヨウジヤマモト434 1988年春夏カタログ ニック・ナイトヨウジヤマモト 1987年春夏
「Yohji Yamamoto V&A」より

 

  • ヨウジヤマモト
    1987年春夏のカタログ
    撮影:ニック・ナイト
    グラフィックデザイン:ピーター・サヴィル
    アートディレクション:マーク・アスコリ

ピーター・サヴィル

今までエディ(スリマン)とはお互いの作品は知っていたけど、面識がなかったんだ。
ディオールのアトリエでの最初の写真を今でも思い出すよ。
寄せ木細工の床の上に黒い箱が置いてあってさ。
本当に初期の頃で、ディオールにおけるエディの最初のパブリシティだったかな。
すごくいいと思ったよ。
ジョン・ガリアーノとの関係で、僕はまだその時ディオールと近い関係にあったんだ。
ジョンがディオールで働き始めた時、ニック・ナイトと仕事をしたがっていて、僕が最初のシーズンのアートディレクターだった。
その時ジョンは19世紀のポートレート画家、ボルディーニにハマっていてさ、僕とニックはジョンをよろこばすために何かしようと考えていたんだ。

1996/1997年のシーズンだったんだけど、僕たちもちょうど写真を絵画のように見せることに夢中だったから、ジョンだけじゃなくて自分たちも満足させるためにがんばったんだ。
ジョンはすごくよろこんでくれたよ。
僕らがその最初のキャンペーンを手掛けたのは90年代中頃だったんだけど、僕はまだコマーシャル業界での仕事を探していて、ファッションブランドのコマーシャルは、航空会社やホテル企業のコマーシャルより面白かったんだ。
コマーシャルの中ではかっこいい部類に入るしね。

トーマス・デマンド

たぶんファッション系の方がアイディアを重視してくれるからじゃないかな。

ピーター・サヴィル

エディも知っていると思うけど、ファッション系広告のギャラってすごいお金になるんだ。
でも結局、そういうのはやりたくないんだって気がついた。
ファッションの世界でフルタイムで働きたくなかった。
ラグジュアリーアイテムを売る手助けをしたくなかったんだ。

クリスティーナ・べヒトラー

なぜですか?

ピーター・サヴィル

ファッション系の仕事を初めてしたのは80年代中頃にニックとヨウジヤマモトの仕事をした時だったんだけど、当時僕は30歳で、今までやっていたレコードカバー系の仕事からの転換期にいたんだ。
ファッションが好きだったし、重要な役割を担っていると思っていた。
でも今は少し懐疑的なんだ。
ヨウジはアーティスト肌で、僕らが好きなようにやらせてくれた。
コレクションの説明もなかったし、僕らがコレクションから感じたものを自由に表現させてくれた。
でも、もしその結果をヨウジが気に入らなかったら大変だったけどね。
ニックと、当時ヨウジのアートディレクターでニックに仕事を依頼していたマーク・アスコリと仕事をしたんだけど、それがニックにとって初めてのファッション撮影だったんだ。
1985年にニックがテリー・ジョーンズの『i-D』で撮った有名なポートレート作品があって、それを見てマークが今の時代の空気にマッチしていると思ったそうなんだ。

マークは当時、ファッション系以外のフォトグラファーにも仕事を依頼していて、そこでニックを選んだ。
そして撮影中にニックがマークに対して、「誰がグラフィックをやるの?」と聞いたらしいんだ。
マークは、「グラフィックって何?」と言って、ニックは「レイアウトや順番とかいろいろ」と答えた。
でもマークはそんなことは重要とは思わなかったみたいで、こう言ったらしい。
「写真を撮って、選んで、東京に持って行って、印刷業者が来てカタログを作るんだ。他に何があるんだい?」
でもニックはグラフィックデザイナーも必要だとマークを説得したんだ。
その当時でさえ、ファッションはまだグラフィックデザインをあまり使っていなかったんだけど、僕らは一緒に一番最初の高価なカタログを作ることができた。
そこで僕はファッションメディアの見方を変えるアイディアを提案する機会を得たし、ヨウジの会社はものすごくサポートをしてくれたんだ。

 

ヨウジ「もうファッションに疲れ果てたよ」

ヨウジヤマモト040 1991-1992年秋冬カタログヨウジヤマモトプールオム 1991年秋冬
ポストカードより

 

エディ・スリマン

当時はメンズウェアにとってすごくいい時期だったよね。

ピーター・サヴィル

最初にニックがメンズウェアを撮って、ヨウジが気に入ったからレディースのコレクションも撮ったんだ。
メンズとレディース両方で5シーズンに渡ってみんなで仕事をしたんだけど、それからマークとヨウジのファッションについての意見が合わなくなってしまったんだ。
80年代の終わりの頃で、マークはコレクションをもっとシックにしたかったんだけど、ヨウジはそういう気分ではなかった。
実は、マークはヨウジに僕がしていることを一度も話したことはなかったらしくて、僕はただアートワークをしている人間にすぎなかった。
それから僕は東京で展示会をするチャンスがあって、誰かがヨウジをそこに連れて行ったんだ。
そしてヨウジから僕に直接電話があって、キャンペーンを手掛けてくれないかと頼まれた。
でも、当時のヨウジはもうファッションに疲れきっていて、モデルと洋服を使わないコンセプチュアルなキャンペーンにして欲しいと言ってきたんだ。
「もうファッションに疲れ果てたよ」とヨウジは言ったんだけど、僕にはその気持ちがよく分かった。
80年代終わりから90年代初期にかけて、ファッションはピークを迎えてしまっていたし、景気も後退し始めていた。
経済が不況の時なんて誰も高いデザイナーものの洋服なんか欲しくないよね。
ヨウジはメル・ラモスとヴァーガスにインスパイアされたポスト・ポップのようなメンズコレクションをやって、レディースでは木を使った普通では着ることのできないコレクションを発表した。
誰も買わないと思ったんだけど、建築家たちがそれを買って、自分たちのスタジオに吊るしたみたいなんだ!
僕がヨウジのためにやった最初のメンズキャンペーンのタイトルは「Game Over」というんだ。
ヨウジは気に入ってくれたんだけど、ヨウジの会社の人たちは、「コマーシャルの大失敗だ。ヨウジのブランドはもう終わりってことなのか?」とみんなゾッとしていたみたいだった。
僕らは、「終わりなのはファッションだけだ」と説明して、結局このアイディアは採用された。
ヨウジの会社のような日本企業では、社長が了承したらみんなそれに従うからね。
ヨウジとは3シーズン仕事をしたんだけれど、デヴィット・シムズと撮った最後のシーズンのキャンペーンは、ヨウジが気に入らなくてキャンセルされてしまった。
その撮影は1991年にベルリンでスタイリストのメラニー・ウォードと一緒に撮ったんだけど、ベルリンに行ったのはその時が初めてだったんだ。

トーマス・デマンド

なんでラグジュアリーアイテムを売る手助けをしたくなくなったの?

ピーター・サヴィル

僕がファッションの仕事を始めてから10年経ってみたら、ファッションカルチャーがもう昔と同じような意義を持たなくなってしまったからさ。
もう単なるビジネスに成り下がってしまっていて、そんなファッションに興味がなくなってしまったんだ。

2007年7月1日ベルリン

 

「クリエイターが山本耀司を語る」は、以下も参考にしてください。