田原桂一と山本耀司の対談 METAPHORE 3

田原桂一と山本耀司の対談の、3回目です。
「ファッション現場にて」というテーマで、対談は進みます。

 

ファッションの現場にて

ヨウジヤマモト メタファー17 田原桂一アラン・ボレル
1984年春夏
「METAPHORE(メタファー)」より

 

METAPHORE(メタファー)より、以下に引用します。

山本耀司

自分で一番真剣にやってる男物のニュアンスは、基本として、クラシックなおしゃれをある程度し終わった男に着てもらいたいという部分がある。
この撮影のための服は日本で展示会をしてない服なんです。
欧米だけで展示会をしてる。
だから前提としては、英語で言うとコンサーバティブクラシックとかトラディショナルとか、そういうおしゃれをし尽くした男に捧げるというテーマでつくってるから、言ってしまえば、すごくふざけた服なんですよ。
そのふざけ方のおかしさみたいのを、日本のこれからおしゃれを勉強する20代には絶対わからない、あるいは誤解してもらっちゃ困るというつもりがあって、日本では展示会をしてないんですね。

そういうふざけた服だから、どうせアーティストのすごさに服はかなわないと最初から思っていたの。
男のすごさには、絶対服なんか飛んじゃって、その人しか見えないだろうと、ずっと思っていたから、そこは最初から踏んでいたポイントなんですけど、大体写真のできばえは案の定そうなりましたね。
男と田原さんの写真であるという感じで、服なんかほとんど何を着ていてもいいという要素はありますね。

ただ、たまには、その背景と、田原さんの押した瞬間と、服と、男がすごく合っていて、ああ、いいなあという写真がもちろんあります。

田原桂一

そういう意味では、ヨーロッパに住んでるアーティストはモデルとしてぴったりかもしれないね。

山本耀司

最近、ファッションをやっていて一番困っちゃったのは、男の服がやたら売れるんですよ。
マーチャンダイジングで言うと、女物のブランドは一直線に下がっていて、男物は反対に一直線に上がってるんですね。
変な時代だなあと言うふうに、一昨年ぐらいから思っていて、一体何だろう、これはと、いま一番悩んでいる点はそれなんです。

僕なんか10年来、女の人に男物を着ろと言って、そういうテーマで自分のブランドを東京で始めて、やってきていて、女の人が男っぽい服を着る、あるいは男物をそのまま着るというようなのは、もうほとんどスタンダードな服装になってしまった。
じゃ男は何を着たらいいんだというときに、さっき言ったような、ふざけが入ってこないとおもしろくないという時代になってきた。

いま僕が逆に一番悩んでいるのは、新しい女性の服って何なんですかということ。

田原桂一

どっぷりとファッション界のど真ん中にいてわかんなくなってしまったという感じだね。

山本耀司

男物をやっていて、最近なんか、いつの間にか、素材とか、スタイリングとか、あるいはこういう本を見てアイディアとか出てくると、みんな男物なんですよ。
女の人に着せたいのが何にもなくなっちゃったの。
ある半面の正直を言うと。

10年前はあったんですよ。
女よ、こういうかっこうをしてほしいという、新しい女性像みたいなのが。
いまないわけ。
むしろ男性像のほうがいっぱいあって、僕は自分が男だから、社会と自分・・・山本個人の自分じゃなくて、男の個人と社会のおもしろい関係みたいなのを、服でいっぱいふざけようと思うと、ふざけられるわけです。
それがいまおもしろくてしょうがない。
ところが、女になると、すごくシリアスになっちゃって、女よ、どこへ行くのかというのがわからなくなってきた。

田原桂一

そういったことが、直接、現在のファッション状況に現れているわけでしょ。
トレンディーなものの方向性が変わってきたとか・・・。

 

日本ではおばさんはおばさんなんですね

ヨウジヤマモト メタファー20 田原桂一ピエール・アントニウッチ
1984-1985年秋冬
「METAPHORE(メタファー)」より

 

山本耀司

いまや、パリを出発点にして最も売れている服がシャネルでしょう。
カール・ラガーフェルドがやってるシャネルが一番水準がいいと思う。
そしたら、ファッションにおいては、信じられないアナクロニズムで先祖帰りをしちゃってる。
オートクチュールがまた元気を出しちゃってるなんていうと、おれたちは何やったらいいんだというところへ来ちゃってるなと思って、いまファッションで話題として一番おもしろいもはそこなんです。
女物のクリエーターがみんな困っちゃってる。

男はいっぱいアイディアが出てきちゃってる。
ジャン=ポール・ゴルチエがこの間東京へ来て言っていたけど、僕は彼のその言い方ではっきり確認したんだけれども、
「男だっていつも誘惑されたいと思ってるんだよ」って、
彼のあの言い方で言うと、ははあ、とわかるわけ。
ジャン=ポール・ゴルチエの言うことがすっと入ってきて、どうしようかという感じぐらいに、男の服の将来みたいのが、いい意味でも悪い意味でもイメージがパッと出てきちゃって、幾らでもデザインできるという感じ。

ところが、最近、男物を着て歩いてる女が、ワンパターンでおもしろくないでしょう。

田原桂一

うん、そう。
男のほうが振り返っちゃうね。

山本耀司

でしょう。
どうもおもしろくない。

田原桂一

おれが思ったのは、男というのは、近代以降は服に対して制約があり過ぎたよね。
ここ2,3年そういうようなものが解き放されたというか、制約というようなものはどうでもいいじゃないか、みたいなことになった。
そうなったときに、かなりおもしろいですよね。

パリという都市はものすごい制約があって、制約の中でパリの都市構造、都市計画がどんどん進められていった。
それが行き着くところまで行って、がちがちの制約の中に固められたときに、その中に住んでる人間というのは、その制約を破りたいと思うんだ。
破りたいと思ったときに出てくるエネルギーというのはものすごいと思うの。

そういうひとつのきっかけみたいなものがポンと出てきて、たとえば男物の服の制約を解き放つような時代背景が出てきて、それはファッションから出てくる時代背景もあるだろうし、職場とか社会状況、いろんな状況が絡み合って、ちょうどひとつの頂点に達すると思うんだけど、そういう時代になっているときというのは、それだけ近代、男物の服が制約を受けていたから、よけいにいろんなことができるというのが、どんどん出てくるんだと思う。

女性のファッションというのは、そういう制約はなかったよね。
だから、かえって今度は女性の服に制約を反対につくっていくとかね。

山本耀司

それをつくりたいんだ。

田原桂一

そういうのがあったら絶対おもしろいんだ。
反対の状況だね。

山本耀司

3年くらい前までは、女は本質で服を着るでしょう、男は観念とか建前で服を着るからね、という言い方で僕も納得していたし、それで何となく落とし前がついたという時期があったんですけど、いま男が本質で服を着始めちゃった。
男の性そのもので謳うというか。

だから、そういう時代というのは、男にとって多分、本質の時代みたいです。
いい時代なのか悪い時代なのかという社会評論は、おれにはできないけど。

田原桂一

いい悪いで考えるというと、どうなんだろうね、本質の部分で欲するところという、そっちのほうだと思うのね。

山本耀司

ミーちゃん、これからの女の時代って何なんですか。

友松美幸

白けちゃってるのね。

山本耀司

女が白けてるね。
白けてるということは、魅力ないんだよね。

田原桂一

それはパリも同じよ。

友松美幸

ことしは日本にいる機会が多くて、日本に帰ってくると、いつも私はおばさんという感じがして、早くパリに帰りたいなと思う。
近ごろ、ことしぐらいから、日本におばさんが増えたなという気がするのね。

山本耀司

そうですね。

友松美幸

パリでは、おばさんはおばさんで美しいんですけど、日本ではおばさんはおばさんなんですね。
生活に疲れてるとか、そういうんじゃなくて、枯れちゃってるというのかな、枯れればいいんだけれども、枯れる手前で腐りかけてるという感じがすごくするんです。

 

自分を守るってどういうこと?

ヨウジヤマモト メタファー21 田原桂一ルチアーノ・キャステリ
1985-1986年秋冬
「METAPHORE(メタファー)」より

 

山本耀司

服装のアイテムでいうと、24,5まで、僕の服とか、かなり過激だと言われる服を着ていた人たちが、27、8で結婚して、だんなさんがイラストレーターだとか、コピーライターだとか、アートディレクターとか、そういう奥さんに限って、ソニア・リキエルならまだいいけれども、グッチかな、クリスチャン・ディオールかな、ココ・シャネルかなと、どんどんクラシックになっていく。
ミーちゃんがいま言った言い方を服で言うと、そういうふうになってしまう。
普通のおばさんに帰っていく。
さよーならって。
本当にそれは見事です。
それまでファッション関係の仕事をしていたとか、そういうことをしていた人たちまで、それに帰っていく。
日本人の場合、見事ね。

だからプリンス、プリンセスの時代が始まってるわけです。
要するに完全なアナクロニズムです。
いいところのお嬢さん、お坊ちゃん。
田園調布、横浜、芦屋。
ファッションにお金を使う方たちの相当な割合が、サーッとそこへ帰っていっちゃったわけです。

友松美幸

それは多分、一種の自分を守りたいということだと思う

山本耀司

そうなの。

田原桂一

自分を守るってどういうこと?

友松美幸

守るということは、要するにかっこよく言えば、
「女は傷ついた」と。
仕事もできるようになったし、ある程度自立した女性がかっこいいんだよというふうになってきて、自分たちもそういう意識になってくる。
自立しなくちゃ、仕事もちゃんとしなくちゃと思うし、結婚もしたいけど、たまさかその時期ちょっと仕事に熱中し過ぎちゃって、恋人はいたんだけど何となく疎遠になってくる。
という30代の女性たちが、自分の年を考えて、それから生きてきた青春という過程を考えたときに、何に逃げるかというと、やっぱり装いとか、そういうことへ逃げていくでしょう。

山本耀司

でも、そういうふうにさせるのは男の目でしょう。

友松美幸

男の人の目っていうのは絶対あるわけだけれど、女の人はまだそこから解放されるところまで行ってないと思うのね。
だから、低迷している。
逆に私なんかは、パリにいると居直っちゃってる。

フランス人の居直りの美しさというのあるでしょう。
フランスの女性というのは居直りの美しさだといつも思うんです。
近ごろ日本でも、お互いにすれ違ったときの数秒間の火花の散らし合いというのが、よく言われてるみたいだけれども。

田原桂一

いま、あるの、日本で?

友松美幸

日本でも女性誌を見ると、言ってるもの。

山本耀司

それはあるだろうね。

友松美幸

だけど、それがまだ始まったばかりで。

田原桂一

すべての男に色目を使うとかね。

友松美幸

違う。女同士でね。

田原桂一

いや、フランスではそうでしょう。

友松美幸

フランスの場合は、女同士の戦いが終わったら、次に男の人に目が行くわけよ。
だけど、日本の場合はそこまで行かないで、女同士でピピピッとし合って、だけど、ストレートに勝ち負けが決まらないみたいな、そういうところがあると私は思ったんです。

田原桂一

どうですか、そういうところは。

 

新しい女性像というのがなかなか見えてこない

ヨウジヤマモト メタファー22 田原桂一ベルナール・パジェス
1986年春夏
「METAPHORE(メタファー)」より

 

山本耀司

ミーちゃんが言った最後のほうを、すごくこわく分析しちゃうと、仕事をしてるうちに30になった。
仕事ではそれなりのキャリアがついて、会社でも重宝がられる。
ただし、そろそろ結婚しようと思っても、普通のサラリーマンの背広を着た人は何かばかに見えちゃう。
かといって、自分があこがれるタイプのいい男って、みんな適当に女がいる。
そういう、やばさとか、むなしさとか、穴ぼこみたいなものに耐えて、なおかつ常に、さっき言ったみたいな女性像という言葉に似合うようなスタイルをし続ける勇気というか実行力というのは、えらい大変な気魄が要るんだろうなって、つくづく思うんだね。

たとえば、流行ってる不倫をやって、子供ができちゃったと。
産むか産まないかというのは、すごく大変な実行力が要ると思うのね。
そういうことまで乗り越えて、自分のスタイルを守るというところまでエネルギーがいっぱいある女性が生きていけないような目つきが、世の中に増えてきているという感じね。

僕、社員に女性が多いし、仕事の関係が女の人がすごく多いから、女の人っていまこういう状態なのかなという、そこら辺までの読みは何となくしてるんだけど、かといって、その先に、そういう人を通り越して、新しい女性像というのがなかなか見えてこないわけ。

友松美幸

シャネルを着るということは、自分に対してイージーになってゆくというか・・・。

仕事もまだ続けなくちゃいけないし、精神的に常に緊張している。
でも独りじゃさびしいわけでしょう。
男の人に頼るのが女性じゃない、自立しなさい、自立する女は美しいと言われ続けて若い時代を過ごしてきた。
自立するということは、イコール男の人を頼りにしちゃいけないわけですよね。
でも、そこら辺の矛盾にだんだん女の人が気がついてきてはいるんです。
だって、やっぱり男女があるんだから、何だかんだ特典があり、利害があるわけだから。

だけど鵜呑みにしちゃった我々がばかかといえば、ばかなんだけれども、全く男の人を頼りにしちゃいけないというふうに、まず攻撃的に出てきているから、
「ここで頼っちゃ女がすたる」じゃないけど、そういう意識は絶対あると思うの。
そうすると、それだけ自分に対して緊張してますよね。
ここで負けちゃいけないとかね。

田原桂一

そうですか。

友松美幸

私がそうだとは言っていません。
だけど、そういうことと、日本だと、特に世間というのは、自立してる女を結局は認めてないわけで、いいお嫁さんになりなさいとか言う。
親がまずそう言いますよね。
そんなに仕事ばかりしていたら、あなた、どうなるのとか。
そういう世間の目、さっき山本さんがおっしゃっていた目というのかな。
そういう時代だと思う。

じゃ、どこかで息抜きしなくちゃ・・・というのが、いまの「お嬢さん」という隠れみのになっているんじゃないかなと思う。
お嬢さん風にしていれば、世間は認めるわけでしょう。
大半の男性は、どっちかというと、キーッとした女性よりも(笑)、やわらかな雰囲気のお嬢さん風の人に好意を持つわけでしょう。

山本耀司

ミーちゃんがほとんどしゃべっちゃいましたけど(笑)、女はいま疲れているんですよ。

田原桂一

女性とは逆に、男がいろいろな制約を外される状況になったというのは、どういうことだと思いますか。

山本耀司

僕はいまの段階では、田原さんがさっき言った、制約が余りに強いがゆえに、風俗とか感性で爆発する以外にないという、非常にはかない抵抗としか思えない。
ロンドンで、アバンギャルドがあれだけ流行るのは、制約があれだけ多い国だから、若いやつらがああいう発散をするしかないというファクトでしょう。

そのへんの力学的な気分がわかってるんだけれども、18世紀の後半の革命が起こる直前に、貴族たちが徹底的にデカダンになって、飽食主義、退廃主義が頂点に達して、それがひとつの哲学的な生き方だったというところまで行くのか行かないのかみたいな時代にやや来ているのかな。
あのころのことを勉強すると、あのデカダンスには思想があったのね。
夫婦が一緒に住むなんていう、そんなダサいことはしちゃいかんとかね。
それが本当にまかり通っていたのね。

田原桂一

それと、もうひとつの力は、革命のほうに向かって行くのね。

 

非常にセコイんだね

ヨウジヤマモト メタファー23 田原桂一ベルナール・ラマルシュ=ヴァデル
1981-1982年秋冬
「METAPHORE(メタファー)」より

 

山本耀司

うん、そう。
だから両方あったわけでしょう。
で、一方は盛り上がって行く。
ルイ14世の飽食主義ってすごかったんだってね。

田原桂一

あれはすごかったってね。

山本耀司

吐きながら食ったんだろう?

田原桂一

そう。あの当時のイギリスの小説に、料理人を雇って、しまいにその料理人がそこの領主になっちゃうという、物すごいおもしろい小説があるんですよ。
ちょうどその当時のことを描いてるんだけれども、結局料理人のつくる料理に領主がころりとまいってしまうわけですね。
全部上げる、そのかわりおいしいものを食べさせてくれと。
結局領主の座まで譲っちゃう。
最後は食い死にするというストーリーなんです。

山本耀司

完全に退廃がスタイルになっていた時代だった。
いま退廃がスタイルになっているかというと・・・。

田原桂一

もっとセコイよね。

山本耀司

非常にセコイんだね。

田原桂一

それは仕方ないね。
日本はみんな中流と言ってるんだけれども、その兆しも世界じゅうにあるわけじゃない。
フランスでもそうだし、アメリカだってそうだと思うけど、みんなそれぞれがある程度の部分で満足しているわけですね。
何に向かっていくかといったら、結局服であり、食べ物であり、そういう生活、風俗のほうへどんどん向かっていくだろうな。
その中で顕著にあらわれてくるのが男の服装で、いままで制約があった以上、それに対してワーッと出てくるよね。

でも、それがどうなるのかわからないんだけど、果たして、男のいままでの規制に対する反逆みたいなものがどれだけの力になり得るかというのは、やっぱり根底にどこか満たされているがゆえに、大きな力には絶対ならないね。

山本耀司

それは感じる。
さっき言った、革命とそれが並行している時代じゃないから、男ではまだふざけていられるのね。
ところが、僕の女性崇拝主義で言うと、時代は必ず女の人が先取りしているから、着るものとか生き方を、女の人が必ず敏感に感じている。
だけど、女の人のスタイルの未来が見えなくなったみたいな気もするね。

今シーズンなんか、パリのオートクチュールのコレクション風に、モンタナとかミュグレーガやった、ニュークチュールとかヌーベルクチュールとかって言われる、昔のクラシックなクチュリエのスタイルをちょっと便利そうにアレンジしたのが一番いいとか、トレンディーだとかって言われるようになったということは、その向こうにはもうオートクチュールの世界がダーッと広がっていて、そういうテーストが広がっているわけだから、僕らアバンギャルドを自他ともにやろうかと言っている連中の正反対の世界が広がりつつあるのね。

田原桂一

それは、たとえばアズディーン・アライアがじわじわやり出したそういうふうな部分と呼応しているんでしょうね。

山本耀司

うん、呼応している。
とにかくヨーロッパのジャーナリストは、アズディーン・アライアが大好きだから。

田原桂一

アズディーン・アライアという、チュニジア人のデザイナー。

山本耀司

オートクチュール系の、いま一番受けてる人です。
サンローランのところにいたテュエリー・ミュグレーのアシスタントをやっていたアズディーン・アライア。
いま独立している。
だから、どっちかというとクリスチャン・ディオールの系譜です。

1985年12月12日

友松美幸(ともまつ みゆき):翻訳家。パリ在住。

METAPHORE(メタファー)

  • 発行日 :1986年12月24日
  • 著者  :田原桂一
  • テキスト:カトリーヌ・ミエ
  • 発行所 :株式会社求龍堂
  • ISBN4-7630-8619-7

田原桂一と山本耀司の対談 METAPHORE 4 に続く

 

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