山本耀司の逆境と挑戦 第5回

今回は山本耀司が、ブランドの将来について語ります。
私は川久保玲が語った一言に共感し、ファッション・ビジネスの将来像を見た思いがしました。

 

欧米では超一級の文化人でも、
日本では売れないファッションメーカーのオヤジです

山本耀司344 インタビュー山本耀司
「LIBERTINES」より

 

  • LIBERTINES
    太田出版
    ISBN978-4-7783-1217-6

山本耀司へのインタビューは、2010年4月に行われました。

  • 文 :管付雅信
  • 写真:田島一成(mild inc.)

それでは、以下に引用します。

管付雅信

そこに山本さんの矛盾があるんですね。
半年おきに新しいコレクションを発表して、若い世代にもアプローチしなければならない。
そこでオヤジの説教にならず、どうアプローチしようと思ってますか?

山本耀司

大部分がそうかもしれないけれど、「世の中、何かが変だ」と疑っている奴がマイナーながらもいると信じているんですよ。
その子たちを勇気づける。
僕の役割はそれだけでもいいと思うんですよ。

例えば、欧米では僕が作る服はカルチャー扱いなんですよ。
僕は超一級の文化人扱いにされる。
でも、日本だと売れないファッション・メーカーのオヤジですから。
だからパリだと居心地が良い。
僕はカフェ・ドゥ・マゴに通いつづけているんですよ。
若いときに自分はそこでまるで埃みたいに圧倒されていたのにね。
パリで一番幸せなのは、朝8時にドゥ・マゴ行って、カフェ・クレームとクロワッサンをつまんでいるときが一番幸せね。
観光客が来る前の時間帯で、常連客とちょっと挨拶して。
かつて”パリに魅せられた男”の至福の時間ですよ。

管付雅信

でも、パリやパリコレに対してコノヤローみたいなのもあるわけじゃないですか。

山本耀司

ありますね。
サンディカの気持ちもわかるんです。
僕が言うことを聞きませんから。
でも仕方がない。
でも、サンディカの会長のグランバックはいつも僕のショウを見に来てくれます。
だから良い席を用意している。
でも非常に儀式的な仲でしかないけどね。

管付雅信

パリは居心地が良いとはいえ、やはり異邦人だし。
日本でも居心地が悪いと。

山本耀司

生まれ落ちた瞬間から僕はアウトサイダーですから。
母親が戦争未亡人で、再婚して幸せになってくれればよかったのに。
俺のために彼女の人生を諦めた。
ありがたいけれど同じ重さで迷惑だったわけですよ。
だから普通の人生ではなく外れるしかなかった。
そうやって自由に生きるのはキツイ。
てめぇで責任を取らなければならないから。

自由にやってきたつもりでも、ファッション・ビジネスってのは因果なもので、会社っていう機関車がないと動かない。
普通のファイン・アートならひとりでもできる。
ファッションはひとりじゃ無理。
そして企業となると、成長が宿命づけられている。
自分の会社がパリに進出して成功し始めた頃、川久保さんとカフェでポロっと話したんですが、「できれば店の奥でものを作って、店の前で売って、そんな一軒の小さなブティックに戻りたい」と、彼女は言ってたんです。
「そうだなぁ」と共感したことがありますよ。

管付雅信

でもそこには戻れませんよ。

山本耀司

戻れません。
戻ろうとしたら、空中爆発するしかない。

 

男が女性の服を作るのってとても難しいんですよ

ヨウジヤマモト345 1985年春夏カタログヨウジヤマモト カタログ 1985年春夏
「Yohji Yamamoto」より
ISBN2-84323-704-1

 

  • ヨウジヤマモト
    カタログ

    1985年春夏
    撮影:マックス・ヴァデュカル

管付雅信

民事再生法を申請して、自分の中で吹っ切れた部分はあったんですか?

山本耀司

吹っ切れましたね。
吹っ切れて気分が良いと言うと、迷惑を掛けた人たちに失礼だけれど。

管付雅信

でもあれだけ力強いと安心するんじゃないですか?

山本耀司

民事再生法というのは銀行の借り入れを踏み倒してしまうわけです。
だからいろいろな皆さまに迷惑を掛けたのは事実で、そういう意味であまり吹っ切れたとは言いづらいです。

管付雅信

記者会見で「ぶっ倒れるまで服を作りつづける」とおっしゃった。
娘さんもデザイナーでブランドを持っていらっしゃって、会社も大きくなっています。
ヨウジヤマモトとしての世代交代や新陳代謝はどうお考えですか?

山本耀司

・・・・・どうしましょう(苦笑)。
個人的に、僕の代用品は誰も作れないと思っています。
チームとしてデザインするのであれば残る可能性はある。
ただし、その場合、僕はヨウジヤマモトの名前を使って欲しくないんです。
違う名前でやって欲しい。

ところが今度バックアップしてくれた会社は、やはり名前を残したいわけです。
ヨーロッパの老舗はファミリー・ビジネスですから、代々継いで行くという伝統がありますね。
ただ、僕みたいにポッと出の日本人デザイナーが世界で名前が響いてしまったときにはどうするんだと思うわけです。
一代限りですから。
僕はビジネス優先型ではない、結果オーライの会社で、利益は結果としてついてくる、そういうやり方しかしてこなかった。
でも芸術勲章もらっても、フランスの国家功労賞貰っても、勲章じゃあ金にならないしね。

管付雅信

北野武さんの映画も同じですね。

山本耀司

北野武とも気持ちは一緒ですよ。
たけしがTVにいっぱい出るようになると、「おっ、そろそろ映画作るな」とわかりますね(笑)。
稼がなきゃいけないんだなと。
彼も僕のことを随分心配してくれたみたいですが。
彼の服はうちで作っているんですよ。

管付雅信

存じ上げています。
先ほどの世代交代の話に戻るんですけど。

山本耀司

この間パリでやったレディースのショウはご覧になりました?

管付雅信

いいえ、写真で見ただけです。

山本耀司

初めてなんですけど、20代の男ふたりのパタンナーが引いた服がステージを歩いたんです。
これは嬉しかったですね。
これは嬉しかったですね。
パリコレの最初からずっと付き合ってくれているベテラン・パタンナーが僕のコレクションを引いているんですけど、それに付き合えるパタンナーがなかなかいなかったんですが、ついこの間のコレクションで初めて若手を起用できた。
これは嬉しかったね。
可能性がありますからね。

管付雅信

それは若いから起用したわけではなく、良いセンスや技術を持っているからですか?

山本耀司

そう、いろんなブランドで手伝わせているうちに、僕の要求したことにピタっと応えてくれるようになった。
男が女性の服を作るのってとても難しいんですよ。
20〜30年にひとり出るかどうかだと思います。
それがふたりも出てきた。
彼らに近い将来何かやらせようかと考えています。

管付雅信

ヨウジヤマモトというブランドは山本さんが死ぬまで、ぶっ倒れるまでやりつづけるシグニチャー・ブランドだと。

山本耀司

僕はそう考えていますけれども、経営陣は僕がやらなくなっても続けたいみたいです。
そこで社内的にどういう話になるのか、経営陣と僕だけでなく、働いている社員たちがどう思うかも含めて、いずれ決まるべきときに決まると思います。
僕は、若い奴を前に出して、できればそろそろ裏に回りたいんです。

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