山本耀司の逆境と挑戦 第3回

ファッションデザイナーの経済活動を詳しく知る機会は、ほとんどありません。
このインタビューはファッションデザイナーの経済活動を知る、とても貴重な機会です。

 

Here I am!!

山本耀司339 インタビュー山本耀司
「LIBERTINES」より

 

  • LIBERTINES
    太田出版
    ISBN978-4-7783-1217-6

山本耀司へのインタビューは、2010年4月に行われました。

  • 文 :管付雅信
  • 写真:田島一成(mild inc.)

それでは、以下に引用します。

管付雅信

今回の事態は、海外での拡大路線の失敗の他に理由があると思いますか?

山本耀司

どうですかね。
でも、国内を見ても、今はファスト・ファッション、つまり安く、より安くと、いわゆる消費するファッションが溢れていて、デザイナーズ・ファッションのマーケットがなくなりつつあります。
百貨店も苦戦している。
これが現状でしょう。
これでは、日本の若いデザイナーが職を失ってしまう。
これまで、グループでパリにサンプルを持ち込んで受注会を行っていた若手デザイナーも、リーマンショック以降、受注が減って仕事が低迷状態です。
日本の百貨店はもともと日本の若手を育てる気がほとんどないから、百貨店やセレクトショップはヨーロッパの大ブランドばかりが最前列で、若手は少しパワーがあれば扱おう、という程度です。
しかも上代の数十パーセントを刎ねる。
作るほうは残りでものを作ったり、家賃を払ったりしなければならない。
これじゃあ若いデザイナーは苦境に陥るに決まっています。
だから、「オジサンも頑張ってんだぞ。お前ら、こんなことに負けるな」というメッセージを発したい。
それが4月1日のショウにつながったわけです。

メンズを選んだのは、レディースよりメンズのほうがこうしたメッセージは伝わり易いと思ったから。
マーケットが縮小して、元気がなくなっているメンズに対して、何かしら仕掛けてやろうと思った。
だから若い学生をいっぱい招待したんですよ。
「俺はパリに出て30年やってきた、お前らにも何かを感じて欲しい」と。

管付雅信

ショウを見ていて、去年のことを乗り越え、東京で何かを言いたかったのではと感じました。

山本耀司

そう、” Here I am!! “ってね(と右腕を突き上げる)。

管付雅信

そういう叫びが聞こえそうな意気込みを感じました。
19年前の「6.1 THE MEN」は意識しましたか?
あれを継承しようとか、まったく違ったものにしようとか。

山本耀司

それはまったくない。
しばらく東京でショウをやっていないなと思って、何年前だったと聞けば、実に19年前だと。
「今までパリでばかりやってきてしまったな」という気持ちから始まったんです。
だから今回の裏テーマには日本がある。
19年間の時間の隔たりを埋めなければという思いですね。
日本の人たちに、年齢を問わず”生”で伝えたかったんですよ。

管付雅信

昨年の一連の会社の流れに対する「ごめんなさい」も?

山本耀司

それもあります。
迷惑、心配を掛けて申しわけないという思いですね。
「ざまァ見ろ」と思った人もいるだろうけども、両方へ向けて「俺は頑張るから」と。

 

こうやれば売れるというのはある程度わかってるんです

ヨウジヤマモト335 ニューヨーク 1984年秋冬ニューヨーク ヨウジヤマモト 1984年秋冬
「Yohji Yamamoto」より
ISBN2-84323-704-1

 

  • ニューヨーク
    ヨウジヤマモト
    1984年秋冬
    撮影:マックス・ヴァデュカル

管付雅信

山本さんは約30年パリでのショウを休みなく続けてこられて、僕も何度か拝見させていただいていますが、ここ10年ほどサンディカ(パリ・クチュール組合)と揉めながら続けていますよね。
それはパリコレをやめてやるという気持ちがあったのですか。

山本耀司

いいえ。
サンディカの言うことを聞く必要はないから。

管付雅信

でも向こうがパリコレを仕切っているわけじゃないですか?

山本耀司

でも、彼らが客を集めてくれるわけではないし(笑)

管付雅信

向こうにしたら、ヨウジはサンディカに従うわけでもない、去るわけでもない。
変わった奴だという感じなのでしょうか。
山本さんの中で、パリコレでは「部外者」「異端」という意識があるのですか?

山本耀司

”異端”であることをやっぱり貫きたかったし、パリに”反対意見”を言いに行ったわけだから、最後まで反抗しつづけようと。
そう思っていたのが、いつの間にか認められ”マエストロ”と呼ばれるようになって、47、48歳のときに自分のパワーがなくなったんですよ。
”反抗”が認められちゃったわけですから。
それどころか尊敬を集めるようになってしまった。
そこから反抗の仕方を模索したんですね。
オートクチュールをパロったりと。
いろんな流行の波の中で、年に2回反抗のネタ探しですね。
それは大変でした。

管付雅信

以前のインタビューで「ファッションは通俗的な職業だ」とおっしゃっていて、その言葉がとても印象的でした。
「ファッション・デザイナーは人気と売り上げが一致しなければならない」と。

山本耀司

ファッション・デザイナーは、人気、売り上げ、影響力がすべて一番じゃなければならないんです。
その宿命から逃れられない。
僕の場合、売り上げの一番はいかなかった。
まず最初に反抗があったから。
僕のショウに出る服って着易くはないから、売り上げ一番は無理だったな。

管付雅信

でも、こうしたら売れるというコード感は自分の中にあるのでは?

山本耀司

もちろんありますよ。
こうやれば売れるというのはある程度わかってるんです。

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