山本耀司の逆境と挑戦 第1回

2010年の「LIBERTINES」という雑誌に、山本耀司へのインタビューが載っています。
長いインタビューなので、数回に分けて紹介します。

 

YOHJI YAMAMOTO THE MEN 4.1 2010 TOKYO

山本耀司332 インタビュー山本耀司
「LIBERTINES」より

 

「LIBERTINES」という雑誌は2010年5月に創刊され、4号で2010年中に廃刊になりました。

  • LIBERTINES
    太田出版
    ISBN978-4-7783-1217-6

山本耀司へのインタビュー

  • 文 :管付雅信
  • 写真:田島一成(mild inc.)

このインタビューはメンズコレクション「YOHJI YAMAMOTO THE MEN 4.1 2010 TOKYO」の数日後、ヨウジヤマモトのアトリエで行われました。

このインタビューのタイトルは、「山本耀司の逆境と挑戦」です。

それでは、以下に引用します。

管付雅信

先日のショウは素晴らしかったです。
終わって心の底から拍手したくなりました。
僕は19年前の、コム デ ギャルソンと一緒にやった「6.1 THE MEN」のショウも見ていて、あれも歴史に残るショウでしたが、今回もまた違った良さがあって、気持ちが昂ぶるコレクションでした。

山本耀司

前回同様、今回もふたりを除いてはモデルを使っていませんからね。
何かをしている男たちに歩いてもらおうと。
本当に何が起こるかわからない。
人によっては、どっちを歩いて良いかわからなくなって、途中で戸惑う人もいましたね。
基本的にファッション・ショウってのは喋っちゃいけない、歌ってもいけない、ただ歩いて帰ってくるだけ。
舞台で言えばお能みたいなものなんです。
だから演技しない分、その人の人間力みたいなものが全部出ちゃう。
モデルを使ってやるよりも文学性が高くなる。
だから登場人物ひとりひとりの人間的な何かが絵になると思うんです。

僕が男で好きなタイプは、基本的にシャイであること。
ショウに出たがる、歩きたがる男は、あまり好きなタイプではないね。
できれば”ショウの一番だけは勘弁してくれ”というような。
椎名誠さんがそうだった、恥ずかしいと。
その恥ずかしさがかわいいんだよね。

管付雅信

終わった後の拍手も凄かったですね。

山本耀司

ネット中継のほうは、ちょうどフィナーレのときに、アクセス過多でサイトが落ちちゃったし、外国のメディアの多さにも驚きましたね。
日本でやるからわざわざ来ることはないだろうと思っていましたから。

 

最大の失敗は、欧米への急速な投資

ヨウジヤマモト336 ロングリバーシブルコート 1995年秋冬コート ヨウジヤマモト 1995年秋冬
「Yohji Yamamoto」より
ISBN2-84323-704-1

 

  • ロングリバーシブルコート
    ヨウジヤマモト
    1995年秋冬
    さび黄色のウールと黒いネット
    撮影:David Sims

管付雅信

そんなショウの興奮さめやらぬ中でインタビューを引き受けていただいて、光栄です。
今日は、聞きたいことがふたつあります。
去年、なぜ民事再生法の申請に至ったかという点。
そして、今回のような大きなショウをなぜ東京で行ったのか、その決意表明の裏側を聞きたいと思います。

去年10月に民事再生法の申請をされました。
そしてそのときの記者会見で「自分は裸の王様だった」だとおっしゃった。
しかし、そこに至る経緯が僕には判然としません。
なので、その辺りを聞かせてください。

山本耀司

僕の人生のプリンシプル、つまり原則は、「人に任せたら、後で後悔したり責めたりしない、失敗ならそれでもいい」です。
「どうして、そんなことをしたんだ」などというのは原則にない。
だから振り返りたくもないのですが、せっかくのご質問ですので、誰がということではなく語りたいと思います。

経営の前任者が考えたことは、今までうちがやってこなかった、欧米への輸出拡大です。
そのためにイタリアにロジスティック・センターを作り、日本で生産したものを一度イタリアに送って、その基地から欧州全土へ輸出するという形を作った。
同時にヨウジヤマモトの新しい旗艦店をニューヨークとパリに作る。
この3つの大きな投資が同時に行われたんです。

でも僕たちは欧米への輸出に関する一般的な常識を知らなかった。
バイヤーが買いに来る。
注文を受け発注する。
受注表を元に生産する。
そして納品する。
ところが、支払いは、150日後です。
その間、我々は、服を作る資本を投下しつづけなければならない。
しかも場合によっては、交換だ、返品だなど理屈をつけて、なかなか店が支払ってこない。
今回、一気に取引先を増やしたこともあり、金額が膨らみ、重い資金負担となったんです。
さらに、海外のショップのオープンが重なった。
旗艦店というのは、その店自身で利益を出すのはほとんど不可能なんです。
要するに卸をバックアップするための宣伝塔ですから。
それをふたつ一度に作った。
その3点が重なったときにリーマンショックがドーンときた。
そしてすべての金融機関が凍りついた。
読みが甘かったと言われてもしょうがないですが、僕は単に運が悪かったのだと思っています。

山本耀司の逆境と挑戦 第2回を読む

 

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