アンチモード? ウィーン工房

19世紀末、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツなどで新しい芸術の動きが起きていました。
同じ頃、ウィーンでも新しい芸術の動きが起こりました。

 

ウィーン分離派

ウィーン工房02 ダゴベルト・ペッフェパジャマ・アンサンブル 1920年
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1

 

  • パジャマ・アンサンブル
    1920年
    テキスタイル「Pan」
    テキスタイルデザイン:ダゴベルト・ペッフェ
    写真:Madame D’Ora-Benda

画家のグスタフ・クリムトは1897年、「ウィーン分離派」を設立して会長となりました。

分離派とは、

  1. 伝統的な保守体制派から離れる
  2. 芸術家みずからが展覧会を企画する
  3. 新しい芸術を模索する

芸術集団でした。

しかしグスタフ・クリムトは、1905年には分離派からも脱退してしまいました。

 

ウィーン工房

ウィーン工房03 オットー・チェシュカケープ 1920年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • ケープ
    1920年ころ
    テキスタイル「パヴァリア」
    テキスタイルデザイン:オットー・チェシュカ
    黒い絹シフォンにプリント
    縁にマラブーの羽根飾り

ウィーン分離派の一人で建築家のヨーゼフ・ホフマンは、1903年「ウィーン工房」を設立しました。

ヨーゼフ・ホフマンは先にイギリスで建築と工芸の統一を主張した、

に強い影響を受けていました。

ウィーン工房が目指したのは、「アートの統合的な活動」でした。

ウィーン工房は、

  • 室内装飾
  • 家具
  • 食器
  • 衣服

などのデザイン・製作を手がけ、1932年まで続きました。

 

ヨーゼフ・ホフマン

ウィーン工房04 ヨーゼフ・ホフマンテキスタイル「狩猟用鷹」 ヨーゼフ・ホフマン 1910-1911年
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • テキスタイル「狩猟用鷹」
    ヨーゼフ・ホフマン

    1910-1911年
    白麻に黒で型染め
    ブックカバー、壁紙、傘、カーテン、クッションカバーなどに用いられた

ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956年)は、ウィーン分離派、ウィーン工房設立の一人です。

ヨーゼフ・ホフマンは、

  • 家具
  • テキスタイル
  • ドレス

などのデザインを手がけました。

ヨーゼフ・ホフマンは、1908年にはウィーン工房を離れました。

 

E.J.ヴィンマー=ヴィスグリル

ウィーン工房05 E.J.ヴィンマー=ヴィスグリル「モード」 E.J.ヴィンマー=ヴィスグリル 1912年
100 years of Fashion Illustration」より
ISBN978-1-85669-462-9

 

  • 「モード」
    E.J.ヴィンマー=ヴィスグリル

    1912年

E.J.ヴィンマー=ヴィスグリル(1882年-1961年)は、ウィーン生まれの芸術家です。

E.J.ヴィンマー=ヴィスグリルは1910年-1922年の間、ウィーン工房のモード部門の責任者を務めました。

E.J.ヴィンマー=ヴィスグリルは、

  • ジュエリー
  • シルバーウェアー
  • 舞台衣装

なども手がけました。

E.J.ヴィンマー=ヴィスグリルは1923年-1925年に、シカゴ・アート・インスティテュートで教育に従事しました。

 

テキスタイル部門

ウィーン工房07 ダゴベルト・ペッフェテキスタイル「Pan」 1919年
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • テキスタイル「Pan」
    1919年
    ダゴベルト・ペッフェ
    白い絹にパステルカラーのステンシル・プリント

モードとかかわるウィーン工房の特徴が最もよい形で表現されたのは、テキスタイル・デザインでした。

テキスタイル部門は、1905年に設立されました。

  • 室内装飾
  • 家具用
  • ドレス用

のテキスタイルが作られました。

幾何学的でグラフィカルなテキスタイル・デザインには、既に1920年代のテイストが感じられます。

テキスタイル部門では、

  • ヨーゼフ・ホフマン
  • マリア・リカルツ
  • ダゴベルト・ペッフェ
  • マティルデ・フレーグル
  • マックス・シュニシェック
  • フェリス・リックス(上野リッチ)
  • コロマン・モーザー
  • カール・オットー・チェンシュカ

など80人を超えるアーティストが30年もの間、工房の製品をデザインしました。

 

モード部門

ウィーン工房06 フェリス・リックスデイ・ドレス 1920年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • デイ・ドレス
    1920年ころ
    テキスタイル「ダヴォス」
    テキスタイルデザイナー:フェリス・リックス(上野リッチ)
    グレー、黒、紫のストライプ柄の絹ポンジー
    衿とカフスは白い綿
    黒い絹タフタのボウタイ
    くるみボタン
    4枚構成のオーバースカート

最初のドレス・デザインは、1907年-1909年ころのキャバレー・フレーダーマウスの衣装でした。

これにより、1911年モード部門が設立されました。

E.J.ヴィンマー=ヴィスグリルが、モード部門のディレクターになりました。

モード部門は、ウィーン工房の中でも最も成功した部門に発展していきました。

デザインにあたったのは、

  • E.J.ヴィンマー=ヴィスグリル
  • マリア・リカルツ
  • ダゴベルト・ペッフェ
  • オットー・レンデッケ
  • マックス・シュニシェック
  • ケラーブロマン
  • フォン・デヴェケイ

などでした。

彼らはファッションデザイナーではなく、もともと建築や工芸を専門とする人たちでした。

 

まとめ

ウィーン工房08 室内着 マティルデ・フレーグル室内着 1928年ころ
「ファッションとアート 麗しき東西交流」図録より

 

  • 室内着
    1928年ころ
    テキスタイルデザイナー:マティルデ・フレーグル
    黒の羽二重に孔雀柄のプリント「ホビー」
    くるみボタンとループによる前明き
    大ぶりなキモノ・スリーブ、きもの風の衿
    共布のベルト付き

参考にした「ファッションの世紀」には、

しかし、それが実際のものとなったとき、服にはデザイン画のイメージが必ずしも十分に引き出されているとは言えない。

(中略)

それらの服を見ると、あふれるように小粋なエスプリを発散するパリ製の服と比べると、どことなくどんよりとしていて、つまりデザイン画が放っている輝きが、服を具体化する過程で曇ってしまったように思えるのである。
服が形になるまでのプロセスに、パリ・モードが伝統的に受け継いでいるあの厳しく的確な目と熟練した手、それをウィーン工房は持ち合わせていなかったのではないだろうか。

「ファッションの世紀」p59より引用 

とあります。

このブログで何度も言っていますが、服はデザイン画が作るのではありません。

  1. 布地
  2. デザイン
  3. カッティング
  4. 縫製

が、それぞれの持ち味を生かし合わなければいけません。

ウィーン工房のテキスタイルは、柄に重きを置いています。

室内装飾に適した布地が、服作りに向くとは限りません。

むしろ室内装飾用の布地は、服作りには向かないことが多いことを知るべきです。

 

参考文献

  • ファッションの世紀
    深井晃子署
    平凡社
    ISBN4-582-62034-5

20世紀のアートとファッションの関係は、以下も参考にしてください。