建築家 吉阪隆正

建築家の内藤廣の「内藤廣と若者たち」という本に、”恩師”という項目があります。
内藤廣の恩師は、吉阪隆正先生です。

 

吉阪隆正

吉阪隆正02浦邸外観 吉阪隆正 1956年
「Casa BRUTUS No.109 2009年4月号」より

 

吉阪隆正

  • 1917年 東京都文京区に生まれる(2月13日)
  • 幼少期  スイスで過ごす
  • 1923年 父の勤務先のスイスから一家で帰国
  • 1933年 ジュネーブ・エコール・アンテルナショナル卒業
  • 1941年 早稲田大学理工学部建築学科を卒業
  • 1950年 フランス政府給付留学生として渡仏
         ル・コルビュジエのアトリエに勤務(-1952年)
  • 1953年 早稲田大学構内に吉阪研究室設立
         (のちのU研究室)
  • 1959年 早稲田大学教授
  • 1960年 フランス学術文化勲章
  • 1962年 日本建築学会賞作品賞
  • 1969年 早稲田大学理工学部長
  • 1973年 日本建築学会会長に就任
  • 1980年 正五位・勲三等瑞宝章
         死去(12月17日)

私が吉阪隆正に持っていた印象は、「ル・コルビュジエの弟子の中でも異色」というものでした。

ル・コルビュジエの弟子の、

とも違う雰囲気です。

私は、「ル・コルビュジエに師事した時代の違いか?出身大学の違いによるのか?」と考えていました。

 

浦邸

吉阪隆正03浦邸ピロティ 吉阪隆正 1956年
「Casa BRUTUS No.109 2009年4月号」より

 

浦邸は1956年に、兵庫県西宮市に建設されました。

ピロティを持つ鉄筋コンクリート造の住宅は、ル・コルビュジエの影響をうかがわせます。

オーナーの浦太郎は数学者で、1951年にフランス政府給付留学生として渡仏しました。

マルセイユに到着した留学生を出迎えた吉阪隆正との出会いが縁で、住宅の設計を約束しました。

ピロティのある鉄筋コンクリート造は、浦太郎の要望です。

 

内藤廣と若者たち

吉阪隆正04ヴィラ・クゥクゥ外観 吉阪隆正 1957年
「Casa BRUTUS No.109 2009年4月号」より

 

  • 内藤廣と若者たち
    東京大学景観研究室編
    鹿島出版会
    ISBN978-4-306-09411-6

「第4章・・・恩師」の中で、内藤廣と吉阪隆正の出会いが語られています。

内藤廣は高校生のころ、建築家の山口文象と知り合いでした。

内藤廣の母親の実家の隣が、山口文象の家でした。

山口文象は、早稲田大学に合格した内藤廣に言います。

「あんたの行っているところには吉阪という変わった男がいて、あれはなかなかの人物なので、彼のところで勉強するといい。」

「内藤廣と若者たち」p81より引用

そして内藤廣は、初めて吉阪隆正の姿を目にしたときのことを、

荒れ果てたキャンパスを、吉阪さんが一人でぱーっと横切っていく。
そしたらね、どういうわけか、それだけで全体の雰囲気が変わる。
こういう人っているんだ、と思った。
それで、研究室を志望して会いにいった。

「内藤廣と若者たち」p82より引用

と述懐しています。

これらのエピソードを読むと、吉阪隆正のことをほんの少しわかったような気がします。

 

ヴィラ・クゥクゥ

吉阪隆正05ヴィラ・クゥクゥ屋内 吉阪隆正 1957年
「Casa BRUTUS No.109 2009年4月号」より

 

ヴィラ・クゥクゥは、1957年に竣工しました。

延床面積が67㎡の、狭小住宅です。

2階はロフト状の寝室で、大きな一室空間の中に必要な機能がコンパクトに納められています。

ピロティのあるプランも、検討されました。

しかし、敷地条件から断念しました。

コンクリートの特性を生かした、自由な造作の吉阪建築の原点がここに生まれました。

表面は荒々しい打ち放しで、その印象を和らげるため彫刻家の坂上政克がレリーフを施しました。

 

まとめ

吉阪隆正06浦邸玄関ホールの壁 1956年
「Casa BRUTUS No.109 2009年4月号」より

 

吉阪隆正は、建築家であると同時に教育者でした。

尊敬できる教師、師匠との出会いはとても大事です。

私は文化服装学院で、小池千枝先生に出会うことができました。

私は、とても幸運な学生でした。