ラウル・デュフィの光を求める戦い

ポール・ポワレは、ラウル・デュフィと一緒にプリント生地を製作しています。
今回は、画家のラウル・デュフィについて調べてみます。

 

ラウル・デュフィ

ラウル・デュフィ01 旗で飾られた街「旗で飾られた街、ル・アーヴルの7月14日」 ラウル・デュフィ 1906年
「DUFY デュフィ」より

 

  • 「旗で飾られた街、ル・アーヴルの7月14日」
    ラウル・デュフィ
    1906年
    カンヴァス、油彩
    81×65cm
    パリ ポンピドゥ・センター蔵

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy)

  • 1877年 フランスのル・アーヴルに生まれる(6月3日)
  • 1891年 コーヒー輸入商社の事務員になる
  • 1892年 市立美術学校の夜間クラスに通う
  • 1898年 兵役に服務(-1899年)
  • 1900年 パリの国立美術学校に入学
  • 1905年 印象派的写実を棄てて、フォーヴに参加
  • 1908年 ブラックとレスタックで制作
  • 1909年 フリエスとミュンヘンに旅行
  • 1911年 アポリネールの「動物誌」の木版挿絵を制作
         ポール・ポワレのために布地のデザインをする
  • 1912年 リヨンの絹織物会社ビアンキーニのスタッフとなる
  • 1925年 ポール・ポワレのためにデザインした布地を国際装飾美術展に出品
         ビアンキーニの仕事に飽き契約を解消
  • 1926年 ポール・ポワレとモロッコに旅行
  • 1932年 ボーヴェ社のため家具のデザインをする
  • 1935年 化学者ジャック・マロージェと知り合う
         以後、彼が発見した絵具に透光性を与える媒材を油絵具に混ぜる
  • 1947年 タピスリーの下絵を制作
  • 1948年 ジャン・コクトーがデュフィ論を発表
  • 1953年 死去(3月23日)

 

光を求める戦い

ラウル・デュフィ02 海景「海景」 ラウル・デュフィ 1927年
「DUFY デュフィ」より

 

  • 「海景」
    ラウル・デュフィ
    1927年
    カンヴァス、水彩
    58×73cm
    ジュネーブ 個人蔵

ラウル・デュフィは自分の生涯を振り返って、「光を求める戦い」と呼んでいます。

「色彩のための戦い」と呼ばれることに、デュフィはけっして同意しませんでした。

デュフィは、

  • 光こそ色の塊
  • 光のない色は生命のないものにすぎない

という確信を抱いていました。

 

エコールを転々と放浪

ラウル・デュフィ03 エプサムの競馬場「エプサムの競馬場」 ラウル・デュフィ 1930年
「DUFY デュフィ」より

 

  • 「エプサムの競馬場」
    ラウル・デュフィ
    1930年
    カンヴァス、水彩
    50×65cm
    バーゼル ベイラー画廊蔵

ラウル・デュフィは、

  1. アカデミックな習作
  2. 印象派
  3. フォーヴィスム
  4. 立体派
  5. ドイツ絵画への接近

と転々と歩みました。

そしてその大事な部分だけを吸収しながら、結局いかなるエコール(流派)にも属しませんでした。

後年、デュフィは語っています。

私は転々と放浪し、私自身で実験することによって、自分の絵の重要な部分を発見した。
そのために非難されたこともあろうが、しかし、私はつねに線を引き、一定の様式を開拓することを学んだり、分析したりするのを好んできた。

「DUFY デュフィ」p80より引用

 

ポール・ポワレのための装飾美術

ラウル・デュフィ04 カウズのレガッタ「カウズのレガッタ」 ラウル・デュフィ 1930〜1934年
「DUFY デュフィ」より

 

  • 「カウズのレガッタ」
    ラウル・デュフィ
    1930〜1934年
    カンヴァス、油彩
    130.o×161.5cm
    パリ ルイ・カレ画廊蔵

1911年にラウル・デュフィは、ポール・ポワレのための装飾美術にたずさわりました。

このとき、デュフィはひとつの重要な発見をしました。

デュフィは1908年から、”光の秩序”について考えていました。

デュフィの重要な発見とは、

  • ”光の秩序”が装飾美術でも応用できること
  • 絹の上にプリントされた微かな色彩でもカンヴァス上の油絵よりはるかに生きた効果をあげること

ということでした。

つまり、「色彩とは光なり」という考えでした。

 

透明への憧れ

ラウル・デュフィ05 オレンジ色のコンサート「オレンジ色のコンサート」 ラウル・デュフィ 1948年
「DUFY デュフィ」より

 

  • 「オレンジ色のコンサート」
    ラウル・デュフィ
    1948年
    カンヴァス、油彩
    60×73cm
    パリ ルイ・カレ画廊蔵

1922年以降、デュフィの水彩画が急に増えます。

デュフィは絶えず、油絵具の不透明性に心を悩ませていました。

透明なるものへの憧れが、水彩を必要としたとも考えられます。

1935年にデュフィは、化学者のジャック・マロージェと知り合いました。

ディフィは、マロージェが発見した絵具の調合に熱中しました。

以後デュフィは、マロージェが発見した絵具に透光性を与える媒材を油絵具に混ぜました。

 

まとめ

ラウル・デュフィ06も ゲルマ小路のアトリエ「ゲルマ小路のアトリエ」 ラウル・デュフィ 1935〜1952年
「DUFY デュフィ」より

 

  • 「ゲルマ小路のアトリエ」
    ラウル・デュフィ
    1935〜1952年
    カンヴァス、油彩
    89×116cm
    パリ 個人蔵

ラウル・デュフィの絵画を見て、「きっと絹の上にプリントされた色彩は美しかったに違いない」と想像しました。

1910年ころラウル・デュフィは困窮をしのぐために、

  • 「動物誌」の木版画
  • ポール・ポワレのための装飾美術

にたずさわりました。

そこでデュフィは、「色彩とは光なり」という重要な発見をしました。

「どんな環境にあっても腐らずに取り組むならば道は開ける」といういい例が、ラウル・デュフィでした。

 

参考文献

  • DUFY デュフィ 新潮美術文庫41
    ISBN978-4-10-601441-3