ピエール・カルダン

ピエール・カルダンというと、ライセンス商品の王様というイメージがあります。
ファッションデザイナーとしてのピエール・カルダンは、どんな人物なのでしょうか?

 

ピエール・カルダン

ピエール・カルダン01ピエール・カルダン
「華麗なるオートクチュール展」図録より

 

ピエール・カルダン

  • 1922年 イタリアのヴェネツィアに生まれる(7月7日)
  • 1924年 フランスに移住
  • 1945年 パリに移る
         ジャンヌ・パキャンのもとで見習いとして働く
         エルザ・スキャパレリのメゾンで働く
  • 1946年 クリスチャン・ディオールのメゾンで働く
  • 1950年 パリにオートクチュール・メゾンを開設
  • 1954年 バブル・ドレスを発表
         パリにブティックを開く
  • 1958年 来日
         文化服装学院で、ショーを4回開く
  • 1959年 自身のサロン以外でコレクションを発表
         パリクチュール組合から追放
         のちに復帰
  • 1961年 紳士服と婦人服の既製服を作り始める
  • 1966年 コスモコール・ルックを発表
  • 1970年 エスパス・カルダンをオープン
         以後、ここですべてのコレクションを開催
  • 1977年 オートクチュール家具「Utilitarian Sculptures」を発売
  • 1991年 日本の勲二等瑞宝章を受章
  • 1997年 フランスのレジオンドヌール勲章を受章

 

若きピエール・カルダン

ピエール・カルダン02ピエール・カルダン
左:ジャンバー・スカート 1970年ころ 右:ドレス 1968年ころ
「FASHION 18世紀から現代まで」より
ISBN978-4-88783-282-4

 

  • 左:ジャンバー・スカート
    ピエール・カルダン

    1970年ころ
    紺のウール・ジャージー
    ミニ丈
    ストラップは赤いビニール
  • 右:ドレス
    ピエール・カルダン

    1968年ころ
    黒いウール・ジャージーのミニ・ドレス
    白いビニール・パネルの装飾

若きピエール・カルダンのことを、「華麗なるオートクチュール展」図録に詳しく書いてあります。

以下に、引用します。

アメリカのマスコミがカルダンの若いアバンギャルドなデザインを突然発見したのは1957年、カルダンがパリでメゾンをオープンして7年たった時だった。
カルダンがファッション界に入ったのは、ジャン・コクトーの映画「美女と野獣」の衣装デザインがきっかけで、次第にオートクチュールの分野に進出していった。
細いウエストとフルスカートというニュールックのシルエットの制約はあったものの、彼は50年代を通じて、よりゆったりとしたシルエットも試みている。

「華麗なるオートクチュール展」図録P101より引用

ジャン・コクトーが監督した「美女と野獣」は、1946年の作品です。

公には「美女と野獣」の美術・衣装は、クリスチャン・ベラールになっています。

ジャン・コクトーが原作・脚色・台詞を担当した、1949年の作品「恐るべき子供たち」の衣装はクリスチャン・ディオールです。

1949年といえば、ピエール・カルダンはクリスチャン・ディオールのメゾンに在籍しています。

ジャン・コクトーがアカデミー・フランセーズに選出されたときに作った服は、ピエール・カルダンだったと私は記憶しています。

 

文化服装学院でのショー

ピエール・カルダン03スーツ ピエールカルダン 1966年
「FASHION 18世紀から現代まで」より

 

  • スーツ
    ピエール・カルダン

    1966年
    ベージュと黒の格子縞のウール・ツイードのジャケット、ミニ・スカート
    筒状の衿付き
    ノー・スリーブのトップはキャメルのウール・ジャージー

ピエール・カルダンは、1958年に来日しました。

本場フランスの立体裁断を直接学ぶ機会を作るために、日本デザイン文化協会と文化服装学院が招いたのでした。

文化服装学院では、ピエール・カルダンのショーが4回開かれました。

19点の作品を、ピエールカルダン自らが解説しました。

講習会で、ドレーピングの実演をするピエール・カルダンの写真も残っています。

このときの様子を、私は中村乃武夫先生から直接聞く機会がありました。

こんな逸話もあります。

小池千枝先生が、学生だったコシノヒロコにピエール・カルダンの作品写真を見て、前と後ろの絵を描けと指名しました。

そのとき、ピエール・カルダンが教室に入ってきました。

コシノヒロコの絵を見た、ピエール・カルダンは、
「うーん、実にうまい。
バックもぼくのデザインと同じだ。」
とほめました。

 

フォルム

ピエール・カルダン04ドレス ピエールカルダン 1966年秋冬
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1

 

  • ドレス
    ピエール・カルダン
    1966年秋冬
    Aラインのミニ・ドレス
    金と銀のスパンコールと金属片で刺繍された斜めの波模様

ピエール・カルダンは、人間の身体を彫刻作品のように扱ってきました。

ピエール・カルダンは、自身の美学で各年代を解釈してきました。

例えば、

  • 1960年代   「デザイン・フォー・オール」
  • 1970年代   「すらりと均整のとれたエッジ」
  • 1980年代   「大きな肩と力の誇示」
  • 1990年代以降 「自身を純粋に理論的なデザイナー」

と位置づけました。

ピエール・カルダンの関心は、服だけにはとどまりませんでした。

  • 建築
  • 家具
  • インテリア
  • アクセサリー

の制作につながり、それが服のスタイルの強化にも役立ちました。

ピエール・カルダンにとって、デザイン作業はすべて同じだったのです。

 

ライセンス

ピエール・カルダン06ネクタイ ピエール・カルダン 1965-1974年
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • ネクタイ
    ピエール・カルダン

    1965-1974年
    多色刷りの絹、ウール

ピエール・カルダンはその高い知名度を利用して、多数のライセンス事業で収益をあげています。

しかしそのことによって、ファッション界での影が薄くなるというデメリットもありました。

ライセンスが膨大な数にのぼると、商品の質を管理しきれなくなり、

  • できの悪い商品
  • 成績の悪い商品

も出てくるようになりました。

 

まとめ

ピエール・カルダン05ドレス ピエール・カルダン 1972年
「文化学園服飾博物館コレクション ヨーロピアン・モード」より

 

  • ドレス
    ピエール・カルダン
    1972年
    アートとモードの融合をはかった「アート・モード」
    と呼ばれる作品群のうちの1点
    直線と曲線、濃紺とベージュの対照的な組み合わせ
    フォルムと色のバランスを重視した

ピエール・カルダンは、アバンギャルドなファッションデザイナーでした。

またピエール・カルダンは、ユニセックスを標榜したファッションデザイナーでした。

いち早く「ユニセックス」という流れを見抜き、テイラー技術を活かしつつファッショナブルな男性服を提案しました。

さらにはプレタポルテにも、いち早く本格的に進出しました。

ピエール・カルダンは、後のオートクチュール・メゾンのプレタポルテ進出を先駆けました。

ピエール・カルダンは、先進的なファッションデザイナーであり、日本にも深い関係がありました。

 

ピエール・カルダンについては、以下も参考にしてください。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterPin on Pinterest