装苑賞の重鎮 中村乃武夫先生

1990年前後のことです。
中村乃武夫先生は、装苑賞の審査員の先生方と対談するという連載を、装苑に持っていました。

 

中村乃武夫先生

中村乃武夫先生01中村乃武夫先生
「装苑1992年」より

 

当時、第一線で大活躍していたファッションデザイナーの先生方が、中村乃武夫先生の前ではまるで子供のようでした。

山本耀司先生が中村乃武夫先生の連載の中で、

装苑賞を受賞したとき、中村乃武夫先生に、「デザイン界の大型新人」とおっしゃっていただいたんです。

と嬉しそうに、中村乃武夫先生と一緒に写真に収まっている姿を私は今でも思い出します。

中村乃武夫

  • 1924年 生まれる(7月28日)
  • 1960年 パリでショーを開催
  • 1964年 美智子妃(現・皇后)のデザイナーを務める
         東京コレクショングループを結成
  • 1970年 大阪万博で日本館の制服を担当
  • 2014年 死去(5月14日)

 

中村乃武夫先生とお会いしました

中村乃武夫先生02中村乃武夫先生
「第67回装苑賞公開審査会」より

 

装苑1992年12月号で、私は中村乃武夫先生にデザイン画を選んでいただきました。

私は対談のため、代々木上原にある中村乃武夫先生の自宅に伺いました。

中村乃武夫先生の自宅の近くには、アトリエがありました。

中村乃武夫先生がいらっしゃる部屋に行く途中、写真がたくさん飾ってありました。

その写真は、中村乃武夫先生が撮影したものでした。

写真撮影が、中村乃武夫先生の趣味だったそうです。

そして、中村乃武夫先生の自宅の和室に通していただきました。

私は、和室で日本茶をいただきました。

和室で正座での対談は、私が装苑賞に応募してから初めのことでした。

 

中村乃武夫先生との対談

中村乃武夫先生03中村乃武夫先生 自宅にて 1992年9月ころ
「装苑1992年12月号」 より

 

中村乃武夫先生は江戸っ子口調で、「君は、コム デ 何とかが好きなのかい?」と私に質問しました。

私は、コム デ ギャルソンには興味があります。しかし一番好きなのはヨウジヤマモトです」と答えました。

中村乃武夫先生は、

「そうか、ああいうのが好きなのか。君が作った服を見たとき、ああいうのが好きなんだろうなと思った。」
「君は頑固そうな人だから、今私がいろいろなことを言っても、君は考えを変えないだろうね。まあ将来のために聞いておきなさい。」

と、さらに話を続けました。

 

ピエール・カルダンのこと

中村乃武夫先生は、

ピエール・カルダンが日本にやって来たとき、私は彼の側で立体裁断を見ていた。」

「ピエール・カルダンはトワルの地の目を、地面に対して垂直に組み立てていった。
彼は地の目を垂直にとって、構築的に服を作っていった。」

「君はピエール・カルダンとは違って、バイアスだね。
通る道は違っても、やがて同じところに到達するでしょう。
とにかく気がすむまでやってみなさい。」

とおっしゃいました。

 

棟方志功のこと

さらに中村乃武夫先生は和室にあった棟方志功の掛け軸を指差して、

「君は棟方志功を知っているかね?
この人は私の師匠なんだがね、とにかくすごい人だよ。」

とおっしゃいました。

私は、「棟方志功のことは知っていますが、詳しいことはわかりません」と答えました。

すると中村乃武夫先生は、棟方志功の作品にかける情熱やいろいろなエピソードを私に教えてくださいました。

中村乃武夫先生が本当に、棟方志功を尊敬していて大好きなことが私に伝わって来ました。

 

励ましていただきました

中村乃武夫先生は、

「バイアスをやるには、広いアトリエがいるね。
君の家は広いのかね?」

と私に質問しました。

私は、「私の部屋は狭くて四畳半しかありません」と答えました。

中村乃武夫先生は、

「広いアトリエが持てるように、頑張りなさい。」

と私を励ましてくださいました。

 

まとめ

私にとって中村乃武夫先生は、ファッションデザイナーというよりも装苑賞の審査員の先生という方がピンときます。

中村乃武夫先生について書きながら、中村乃武夫先生との思い出話になりました。

ファッションデザイナーとしての中村乃武夫先生のことをよく知らないから、私は緊張せずに中村乃武夫先生と対談できたのだと思います。

中村乃武夫先生に選んでいただいたデザイン画は、私のデザイン画の主流ではありませんでした。

しかし中村乃武夫先生が選んでくださったデザイン画は、私の新しい可能性を秘めていました。

中村乃武夫先生があのデザイン画を選んでくださったから、私は装苑賞佳作1位を受賞できたのだと思います。

中村乃武夫先生、本当にありがとうございました。