マイヤ・イソラがデザインしたテキスタイルは、今や定番とも言えるのではないでしょうか。
そんな定番を生み出したマイヤ・イソラは、自由を愛した人でした。
マイヤ・イソラ
マイヤ・イソラ
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
マイヤ・イソラ(Maija Isola)
- 1927年 フィンランドのアロランミという村に生まる(3月15日)
- 1946年 娘のクリスティーナを出産
ヘルシンキの工芸学校のテキスタイル学部で学ぶ - 1948年 オスロを旅行
- 1949年 プリンテックス社のテキスタイルデザイナーになる
- 1970年 パリで過ごす
- 1971年 アルジェリアで過ごす
- 1976年 パリに戻る
- 1979年 ヘルシンキのギャラリーで回顧展
- 1987年 マリメッコの仕事を引退
- 2001年 死去(3月3日)
アルミ・ラティア
アッペルシーニ マイヤ・イソラ 1950年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- アッペルシーニ(Appelsiini)
マイヤ・イソラ
1950年
「オレンジ」という名のクラシック柄のオリジナル配色
アルミ・ラティアは、マリメッコの創業者です。
アルミ・ラティアの夫のヴィリヨ・ラティアが、1949年にプリンテックス社を買収しました。
1951年に、アルミ・ラティアが友人たちとマリメッコを創業しました。
マイヤ・イソラとアルミ・ラティアとの出会い
ムスタ タンマ マイヤ・イソラ 1954年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- ムスタ タンマ(Musta Tamma)
マイヤ・イソラ
1954年
黒い雌馬の意味
マイヤ・イソラは好んで動物柄を描いた
マイヤ・イソラは1946年から1949年の間、工芸学校のテキスタイル学部で学んでいました。
マイヤ・イソラは、最終学年時にプリント・ファブリック・コンテストに参加しました。
そこで、アルミ・ラティアがマイヤ・イソラを見出しました。
マリメッコでのマイヤ・イソラ
ルースプー マイヤ・イソラ 1957年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- ルースプー(Ruusupuu)
マイヤ・イソラ
1957年
野草を直接スクリーンに転写
花の部分は手で描き足した
マイヤ・イソラは、1949年にプリンテックス社のテキスタイルデザイナーになりました。
以来マイヤ・イソラは38年間、マリメッコの第一線で活躍し続けました。
マイヤ・イソラが手がけたものは、500点以上にもなります。
マイヤ・イソラと娘のクリスティーナ
ヨーナス マイヤ・イソラ 1961年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- ヨーナス(Joonas)
マイヤ・イソラ
1961年
夕方の工場のプリント台に紙を広げ、ラヴィ・シャンカールの音楽に合わせて自由に筆を躍らせて描いた
マイヤ・イソラは、1946年に娘のクリスティーナを出産しました。
マイヤ・イソラは1980年代には、娘のクリスティーナとともにテキスタイルデザインの活動を行いました。
生地の端には、二人の名前がプリントされました。
いつも自由であること
カイヴォ マイヤ・イソラ 1964年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- カイヴォ(Kaivo)
マイヤ・イソラ
1964年
インテリアデザイナー向けにセレクトされた建築シリーズの一つ
マイヤ・イソラは、いつも自由であることを望んでいたようです。
「いつも自由であること」が、マイヤ・イソラのテーマであり生き方でした。
マイヤ・イソラはフィンランド以外にも、
- フランス
- アルジェリア
- アメリカ
で生活しました。
プリントされた花
ウニッコ マイヤ・イソラ 1964年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- ウニッコ(Unikko)
マイヤ・イソラ
1964年
ポピーをモチーフにした柄
1990年代にもリバイバルブームが起きた
アルミ・ラティアは、「プリントされた花は自然界の花に適わない」という持論でした。
そのためマリメッコでは、花柄を禁止していました。
しかしマイヤ・イソラは、花を大きく扱った大胆なデザインをしました。
そしてマイヤ・イソラは、「自分の仕事に制限を与えれれたくない」と主張しました。
そこで生まれたのが、ウニッコです。
マイヤ・イソラと絵画
トゥーリ マイヤ・イソラ 1971年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- トゥーリ(Tuuli)
マイヤ・イソラ
1971年
布地いっぱいに枝を広げるのは、パリにあるマイヤ・イソラお気に入りの木
目を凝らすと鳥の姿が見える
マイヤ・イソラは、
- 油絵
- テンペラ画
の画家としても活躍しました。
絵画で扱われたモチーフを、ファブリックに用いることもしばしばありました。
マイヤ・イソラは1987年にマリメッコの仕事を引退し、亡くなるまで絵画を描き続けました。
まとめ
アララト マイヤ・イソラ 1980年
「ELLE DECOR No.133 2014年8月号」より
- アララト(Ararat)
マイヤ・イソラ
1980年
1980年代にマイヤ・イソラは三角形をモチーフにした作品を多く手がけた
フィンランドは、自然豊かな優しいアースカラーのデザインが主体でした。
マリメッコの創業当時からデザインを担当したマイヤ・イソラは、極めてカラフルなデザインを提案しました。
そしてフィンランドの文化風土に、ショックにも近い印象を残しました。
また大人気商品である「ウニッコ」は、マイヤ・イソラの強い主張によって生まれました。
私が持っていたマイヤ・イソラとマリメッコのイメージとは違った事実が、とてもおもしろかったです。
マイヤ・イソラとマリメッコについては、以下も参考にしてください。