マダム・グレ 直感的なドレーピング

マダム・グレは、20世紀を代表する偉大なクチュリエです。
しかしマダム・グレの存在は、世間から忘れ去られているようで残念でなりません。

 

マダム・グレ

マダム・グレ02アットホーム・アンサンブル マダム・グレ 1967年秋冬
「華麗なるオートクチュール」展カタログより

 

  • アットホーム・アンサンブル 
    マダム・グレ

    1967年秋冬
    「ハーレム」と名付けられたアンサンブル
    水色、黄、ピンク、茶、紫でサイケデリックなプリントを施したシルク
    金と白の花柄の錦が加えられている
    パンツの右足にサイドスリットが入っている

マダム・グレ

本名:ジュルメーヌ・エミリ・クレブ

  • 1903年 パリに生まれる(11月30日)
  • 1930年 プルメのメゾンで働く
         仕立て、スケッチ、裁断の基本を学ぶ
  • 1934年 アリックスの名前でメゾンを開設
  • 1939年 パリ万博でオートクチュールの最優秀賞を受賞
  • 1941年 ユダヤ人であることを避難され、ナチの占領から避難
         アリックスとしての仕事を辞める
  • 1942年 名前をグレと改めリュー・ド・ラ・ぺ、にメゾンを開設
  • 1944年 生地の使用規制を無視し続けて、ナチによりメゾン閉鎖
         パリが解放され、青、白、赤をテーマにしたコレクションを発表
  • 1945年 小さな針金人形にフランス・ファッションを着せて展示する
         「テアトル・ドゥ・ラ・モード」に参加

         舞台設計を担当したのは、
         クリスチャン・ベラール、ボリス・コノフ、ジャン・コクトー
  • 1959年 最初の香水「カポシャール」を発表
  • 1972年 パリ・クチュール組合の理事長に就任
  • 1981年 パリの衣装博物館で回顧展が開かれる
  • 1988年 メゾンを閉鎖(4月)
  • 1993年 死去(11月24日)
  • 1994年 メトロポリタン美術館が回顧展を主催

 

直感的なドレーピング

マダム・グレ03ドレス マダム・グレ 1940年代
「もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」
ISBN978-4-7661-2374-6より

 

  • ドレス
    マダム・グレ
    1940年代

マダム・グレを特に有名にしたのは、小さなカートリッジ・プリーツつきのドレスでした。

これらのドレスは、マダム・グレの手作業による直感的なドレーピング技法によって作られました。

マダム・グレは、

こういうドレープ入りドレスを人は古めかしいという。
でも、わたしは古典から何かを着想したことは一度もない。
この生地を手にする前はドレープ入りドレスを作ろうなんて思いつきもしなかった。
しかし、生地を手にするやいなや、ひとりでにこうなってしまったのだ。

と語っています。

 

恐ろしく高度な技術

マダム・グレ08イブニング・ドレス マダム・グレ 1944年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBM978-3-8365-5719-1

 

  • イブニング・ドレス
    マダム・グレ
    1944年ころ
    白い絹ジャージーのワンピース・ドレス

    細かくたたまれたプリーツ
    上見頃内側に11本のボーン入り

マダム・グレは自らの趣味の範囲を超え、芸術的な美的価値観に忠実な作品を生み出しました。

50年以上もの間、

  1. 女性のフォルム
  2. そのフォルムを覆う素材

の可能性を追求しました。

そして、自らのビジョンを表現する服を作りました。

マダム・グレはさまざまな技法やアプローチを駆使して、恐ろしく高度な技術を要する素晴らしいドレスを作りました。

マダム・グレの服はドレープが非常に美しく、作りもしっかりしていました。

そのため形を保つために、特別に内側から補強する必要がありませんでした。

 

ナチスからの迫害

マダム・グレ05ドレス マダム・グレ 1946年
「もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」より

 

  • ドレス
    マダム・グレ

    1946年

マダム・グレは、ナチスからの迫害を受けています。

「華麗なるオートクチュール」展カタログには、
『1942年の春夏コレクションをリヨンで開き、三色旗の色の夜会服を見せて、ナチスから圧迫を受ける。』
と書いてあります。

また、「もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」には、
『生地の使用規制を無視し続けたため、ナチによりメゾン閉鎖に追い込まれる。』
とあります。

上の写真のドレスの説明には、

第二次世界大戦終了後、1946年の制作されたこの作品は、ナチによる占領がパリの多数のクチュリエに与えた苦難を象徴している。
簡素に見えるように巧みにしつらえられてはいるものの、生地が大量に使われている。
これにより、グレはドイツによる生地の使用制限に迎合しないことを表明したのだった。

「もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」P101より引用

とあります。

 

彫刻家を目指した

マダム・グレ06イブニング・ドレス マダム・グレ 1988年春
「華麗なるオートクチュール」展カタログより

 

  • イブニング・ドレス
    マダム・グレ

    1988年春
    多彩色のペイズリー模様のシネシルクタフタ地
    背中を膨らませた袖無しの細身のドレス
    優雅なドレープを持つパフ
    マダム・グレの最後のコレクションから

マダム・グレは若いころ、彫刻家を志しました。

また、ダンスにも関心がありました。

マダム・グレの服には、その影響が強く出ています。

 

まとめ

マダム・グレ07アットホーム・ドレス マダム・グレ 1964年冬
「華麗なるオートクチュール」展カタログより

 

  • アットホーム・ドレス
    マダム・グレ

    1964年冬
    「ハーレム」と名付けられたドレス
    青、赤、金で花模様を施した厚めの白いシルクブロケード地
    バイアスに裁断した2枚のブロケード地を、
    手、足、頭の出口を着けた凧の形の袋状に仕立てた

マダム・グレについて書こうと思い、数ヶ月が経ちました。

資料や写真がなく、今になってしまいました。

展覧会でマダム・グレの作品を見ると、その美しさに引き込まれてしまいます。

美しいドレープがどのように作られているのか、まったくわかりません。

マダム・グレの服は、本当に恐ろしく高度な技術を要します。

そんなマダム・グレは、デイ・ドレスや遊び着、スポーツウェアを作りました。

最も得意としたのは、くつろぎ着でした。

今回、アットホーム・ドレスの写真を2枚掲載しました。

いつかマダム・グレの服を、たくさん見たいものです。

マダム・グレについて、以下も参考にしてください。

 

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