ルシアン・ルロン

20世紀初頭に活躍した、ファッションデザイナー。
今回は、ルシアン・ルロンを取り上げます。 

 

ルシアン・ルロン

ルシアン・ルロン06ルシアン・ルロン
「クリスチャン・ディオール 一流デザイナーになるまで」より
ISBN978-4-434-12444-0

 

ルシアン・ルロン(Lucien Lelong)

  • 1889年 フランスのパリに生まれる(10月11日)
  • 1919年 両親の営むメゾンを継ぎ、商才を発揮
  • 1937年 フランスのオートクチュール協会の会長となる
        (-1947年)
  • 1939年 ピエール・バルマンがメゾンに入る
  • 1942年 クリスチャン・ディオールがメゾンに入る
  • 1945年 ピエール・バルマンが独立
  • 1946年 クリスチャン・ディオールが独立
  • 1948年 メゾンを閉鎖
  • 1958年 死去(5月11日)

 

パリ・オートクチュール協会会長 ルシアン・ルロン

ルシアン・ルロン03イブニング・ドレス ルシアン・ルロン 1930年代
「文化学園服飾博物館コレクション ヨーロピアン・モード」より

 

  • イブニング・ドレス
    デザインポイントを、バック・スタイルにおいている
    ベルベットの艶のある黒
    グログランのマットな白
    コントラストを際立たせたシャープなデザイン

パリは1940年から1944年まで、ナチス・ドイツの支配下にありました。

オートクチュールは、制約のもとにも細々ながら年2回のコレクションは続けられていました。

ヒットラーはオートクチュールを、ベルリンにそっくり移したいと考えていました。

パリ・オートクチュール協会の会長だったルシアン・ルロンは、

「オートクチュールという産業は、

  • 刺繍
  • アクセサリー
  • 帽子

などの熟練した周辺のこまごまとした産業の支えによって成り立っている。」

ことを、強く訴えました。

結果としてパリのオートクチュールが、ベルリンに移されることはありませんでした。

 

アメリカへの弁明

ルシアン・ルロン02イブニング・ドレス ルシアン・ルロン 1920年代中期
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1

 

  • イブニング・ドレス
    ペール・ピンクの絹シフォンのワンピース・ドレス
    ペタルを全身に留め付けている
    ラインストーン、シルバー・ビーズ、金色の皮革で植物模様の刺繍
    ロー・ウエストにベルト風の刺繍

「20世紀ファッションの文化史」という本に、第二次世界大戦後のことが書いてあります。

以下に、引用します。

ドイツ軍がパリを占領したとき、ナチスは服飾産業を管理下においている。
彼らはパリモードの経済効果を高く評価していたので、一時は産業そのものをそっくりベルリンに移動することさえ目論んでいた
(この計画はフランス側の強い抵抗もあって撤回されることになる)。
デザイナーの中にも閉店や亡命を余儀なくされたものがいた一方、対独協力して生き残りをはかったものも少なくなかった。
連合軍がパリを解放したとき、100以上ものファッションハウスがナチス・ドイツ占領下でも営業していたことを知ってアメリカは強い憤りを感じた。
オートクチュール組合会長ルシアン・ルロンら関係者は弁明に奔走することになる。

「20世紀ファッションの文化史」p154より引用

 

ルシアン・ルロンとクリスチャン・ディオール

ルシアン・ルロン04ウールのスーツ ルシアン・ルロン 1947年
「100 years of Fashion Illustration」より
ISBN978-1-85669-462-9

 

  • ウールのスーツ
    イラストレーション:Eric
    ”ブリティッシュ・ヴォーグ” 1947年11月号
    水彩

クリスチャン・ディオールの自伝、
一流デザイナーになるまで」にルシアン・ルロンのことが書いてあります。

以下に、引用します。

十年ほど前から、私はリュシャン・ルロンの店でデザイナーとして働いていて、呑気に暮らしていた。
経営の責任もなく、代表者としての勤めもなく、楽しい仕事をしていた。

(中略)

一緒にルロンの店でデザイナーとして働いていたバルマンが独立して、自分の名前で店を出して成功したのだ。
私だって野心を持っていいのだ。
ルロンの店で私は安心して仕事をする事が出来た。
しかしそれは他人の利益と趣味によって働いているのだ。
ルロンに対する責任としても私は自由に振舞う事が出来なかった。

(中略)

私はここでルロンに退職を申し出る前に私を最初、この店に迎えてくれたレモンド夫人に話すことにした。
彼女は私の親しい友人であり、忠告者であった。
私は少し前から私の計画を匂わせていたし、彼女はマティニョン街のルロンの店を去って私を助けてくれる決心をしていた。

(中略)

レモンド夫人とD夫人が私を支えてくれる。
二シーズンの間居残って、その間に後任を見つけるという事で意見がまとまった。
ルロンが私の気持ちを理解してくれた事に対して、私は非常に感謝している。
私達は別れる事がつらかった。

「一流デザイナーになるまで」p9-18より引用
ISBN978-4-434-12444-0 

 

まとめ

ルシアン・ルロン05パリ・コレクション 1947年
左:ルシアン・ルロン 右:クリスチャン・ディオール
「100 years of Fashion Illustration」より

 

  • パリ・コレクション
    イラストレーション:ルネ・グリュオー(Rene Gruau)
    ” Woman’s Journal ” 1947年

ルシアン・ルロンについて、不明な点がたくさんありました。

過去のファッションデザイナーのことなど、どうでもいいのが今の日本のファッション業界かもしれません。

「ファッションデザイナー」と一言で言っても、様々なタイプのファッションデザイナーがいます。

そして時代の中で、いろいろな役割を果たしています。

たくさんのファッションデザイナーを見ていく事が、未来を考えるヒントになりそうです。

参考文献

  • 「ファッションの世紀」ISBN4-582-62034-5
  • 「20世紀ファッションの文化史」ISBN978-4-309-24746-5

 

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