抒情の画家 蕗谷虹児

私の家には蕗谷虹児の「花嫁人形」という本が、2冊あります。
1冊は神保町の三省堂書店で買ったことを、覚えています。

 

蕗谷虹児

蕗谷虹児02「睡蓮の夢」 蕗谷虹児 1924年
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

  • 睡蓮の夢
    蕗谷虹児
    虹児画譜第一輯口絵
    1924年1月
    彩色

蕗谷虹児(ふきやこうじ)

本名:蕗谷一男

  • 1898年 新潟県新発田市に生まれる(12月2日)
  • 1911年 母エツ死去
         母の死により一家は離散
  • 1912年 尾竹竹坡の内弟子になり上京
  • 1914年 いったん帰郷
  • 1915年 再び上京その後、 樺太へ渡る
  • 1919年 上京
  • 1920年 日米図案社に採用され、ポスターなどを描く
         竹下夢二を訪ねる
  • 1921年 長編小説「海の極みまで」に描いた挿絵が好評で仕事が殺到
  • 1922年 「令女界」が創刊され、執筆開始
         川崎りんと結婚
  • 1923年 「少女倶楽部」が創刊され、執筆開始
         関東大震災
  • 1924年 「令女界」2月号に「花嫁人形」を発表
  • 1925年 神戸港から妻りんと渡仏(9月21日)
  • 1926年 4月サロン・ナショナルに出品、2点入選
         9月サロン・ドートンヌに「混血児とその父母」入選
  • 1929年 上海で魯迅より「蕗谷虹児画選」が出版される
         国際連盟会議室の壁画を描く
  • 1933年 りんとの協議離婚届を出す(8月14日)
          松本龍子と結婚(12月20日) 
  • 1935年 詩画集「花嫁人形」出版
  • 1941年 「世界名作童話」(講談社)の「アラビアンナイト」の挿絵
  • 1943年 短歌雑誌「防人」を主宰
  • 1946年 再刊された「幼年倶楽部」、「少女倶楽部」
         新刊の「紺青」などに描き出し、再び人気を得る
  • 1954年 少女雑誌が漫画誌化したため、絵本を描き出す
         東映動画スタジオの設立に参加
  • 1967年 絵入りの自伝小説「花嫁人形」出版
  • 1968年 三島由紀夫との共著「岬にての物語」署名入りの手彩色本を出版
         「蕗谷虹児抒情画集」出版
  • 1973年 堀口大学との共著「虹の花粉」出版
  • 1974年 「蕗谷虹児抒情画大集」(講談社)出版
  • 1975年 「蕗谷虹児画集」出版
  • 1976年 「蕗谷虹児童画集・絵本ファンタジー」出版
  • 1979年 死去(5月6日) 

 

蕗谷虹児の絵

蕗谷虹児03「幻の国へ」 蕗谷虹児 1924年
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

  • 幻の国へ
    蕗谷虹児
    荒江啓著「幻の国へ」口絵
    1924年
    彩色絹本

私が蕗谷虹児の絵を初めて見たのは、幼少のころです。

世界名作童話の、絵本を読んだときです。

東映動画の初期のアニメーションは、蕗谷虹児の絵柄に似ています。

蕗谷虹児は、東映動画スタジオの設立に参加しています。

東映動画の第1作、「夢見童子」の原画と構成を担当しています。

 

巴里画信

蕗谷虹児04「欧州航路」 蕗谷虹児 1928年
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

  • 欧州航路
    蕗谷虹児
    「令女界」巴里画信より
    1928年
    インク

蕗谷虹児は、パリから日本にペン画を描き送っています。

パリで描く挿絵なので、蕗谷虹児は描き方を変えました。

巴里画信のペン画は鋭く洗練され、独自の画境に達しています。

蕗谷虹児は、日本の子供雑誌に欧州航路を絵通信に描いて送りました。

欧州航路に描かれた女性像は、当時の若い女性たちの新しい気風を伝えています。

蕗谷虹児が描くパリモード」に、ペン画を特集しました。

 

パリの生活

蕗谷虹児05「日本女性 春」 蕗谷虹児 1929年
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

  • 日本女性 春
    1929年
    彩色絹本

パリに着いた蕗谷虹児は、その日のパンにもこと欠く生活になってしまいました。

その日暮らしの中で出品制作にかかり、 サロン・ナショナルに2点入選しました。

続いて、サロン・ドートンヌに「混血児とその父母」が入選しました。

蕗谷虹児は以後、春秋毎回入選を果たします。

シャンゼリーゼの有力な画商「ジヴィ」での個展も、成功させることができました。

そして、後継者もつきました。

しかし突然、日本に帰国しなければならない事態が起きました。

 

画風の確立

蕗谷虹児06「別後哀愁」 蕗谷虹児
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

  • 別後哀愁
    蕗谷虹児
    「少女の友」口絵
    印刷

パリから帰国した蕗谷虹児は、 画家として一本立ちする夢が破れてしまいました。

しかし皮肉なことに、パリ帰りの洗練された画風はますます人気を高めました。

作曲された「花嫁人形」も広く歌われて、蕗谷虹児は花形作家の道を歩くことになりました。

そして一世を風靡した、蕗谷虹児の画風が確立されます。

往年の蕗谷虹児のファンは、

  1. 幼年倶楽部
  2. 少女倶楽部
  3. 少女の友
  4. 令女界

を愛読しました。

蕗谷虹児は、雑誌によって作風をはっきり変えています。

  

岬にての物語

蕗谷虹児08「岬にての物語」 蕗谷虹児 1967年
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

  • 岬にての物語
    蕗谷虹児

    書籍口絵
    1967年
    印刷

蕗谷虹児氏の少女像

三島由紀夫

蕗谷虹児氏の作品は幼いころから親しんで来たものであるが、今度私の二十歳のときの作品「岬にての物語」を出版するに当り、氏の画風ほど、この小説にふさはしいものはないと思はれたので、お願ひをして快諾を得た。
殊に口絵の百合の花束の少女像は、今や老境にをられるこの画家が、心の中深く秘めた美の幻を具現してあますところがない。
その少女のもつはかない美しさ、憂愁、時代遅れの気品、うつろひやすい清純、そしてどこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」、「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像としてふさはしいものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいているにちがひないこの美のわがままな映像が、あたかも一人の画家が生涯忘れることのなかった清らかさの記念として、私に深い感動を与へたのである。

1968年10月
「岬にての物語」のあとがきより

「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録p170より引用

 

まとめ

蕗谷虹児07「春」 蕗谷虹児
「抒情の旅人 蕗谷虹児展」図録より

 

 


  • 蕗谷虹児
    「令女界」口絵
    印刷

蕗谷虹児の絵には、どこか憂いが含まれています。

この憂いに、惹きつけられます。

蕗谷虹児の生涯を眺めてみると、大変なことがたくさん起こります。

人生に起こったいろいろなことが、憂いを含んだ画風にあらわれたのでしょうか。