ディオールとサンローラン 小池千枝先生

以前紹介した「ディオールの作品とラインの変遷 小池千枝先生」には、省略した部分がありました。
今回は、前回省略した部分を紹介します。

 

ディオールからサンローランへ

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール11 イヴ・サンローランイブニング・ドレス 1955年冬
「YVES SAINT LAURENT」より
ISBN078-0-8109-9608-3

 

  • 「ドウィマと象」
    クリスチャン・ディオールのイブニングドレス
    1955年冬
    場所:パリのシルク・ディベール
    写真:リチャード・アヴェドン
    デザイン:イヴ・サンローラン
    黒いベルベット
    オイスターホワイト色のサッシュベルト「帯」は床まで垂れている

「華麗なるオートクチュール展」図録より、以下に引用します。

ディオールの死後、若きサンローランが店を引き継いだことはまさに画期的でしたね。
サンローランはこの店でトラペーズ(台形)ラインを発表します。
このラインも独特ですね。
どちらかというと、前面、後面もさることながら側面の美しさが独特といえます。
胸のアクセントの出し方もディオールとはまったく違いますね。
どちらかというとAラインに似ています。
ディオールと比べて、サンローランがイメージするのはあまりグラマラスな女性ではないようですね。
もう少し中性的な女性です。
この胸のカーブの作り方がものすごく難しいんです。
あるような、ないような、ウエストもフィットしていないんです。
つまり、動的な揺れる要素があるんです。
そのままずっと後ろに流しますから、まさにトラペーズラインというわけです。
このトラペーズラインというのは、サンローランがまだディオールの店にいたので、何かラインに名前をつけなくてはいけなかったために生まれた名称でしょう。

もう一つ、ここで静的なラインから動的なラインに移ったのもサンローラン時代の特徴です。
デザインの中心は若者に移りました。
サンローランの功績は、3次元から4次元の動的な造形に入ったことでしょう。
最近発表されたサンローランのスーツにも、何かしらディオールのリバティーラインのスーツに似ているものを感じるのは私だけではないと思います。
ディオールの感性がサンローランに受けつがれているのでしょうね。

 

オートクチュールと香水、そして顧客

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール12 ルネ・グリュオーパルファン・クリスチャン・ディオールのための広告
「グリュオー展」図版より

 

  • パルファン・クリスチャン・ディオールのための広告
    「濃い黄色の背景のパラソル」
    ルネ・グリュオー
    1986年
    52cm×39cm
    インク、グワッシュ

もともと、オートクチュールの服そのもので採算が合うわけではないんです。
一人のお客さんに何人かの縫い子がついて、何週間もかかって、たとえば200万円受け取ったところで、それほど採算は合いません。
そこで、名前が出てくれば出てくるほど、それに付随した香水やライセンス物をやらざる得ない。
今でもおそらくメゾンの財源は香水ではないかと思います。

お客はヨーロッパやアメリカが中心でした。
当時お金を持っていたのはアメリカでしたから。
オートクチュールを着たお客には他にどんな人たちがいたかというと、まず、特定のタレントでしょうね。
たとえば、オードリー・ヘップバーンがジバンシィを着たというような。
そしてヨーロッパの王侯貴族や金持ちですね。
ですから当時はほんの数千人、ひょっとすると数百人かもしれません。
でもその実態は、我々がうかがい知るところではありませんね。
その代わり最高の素材を用い、最高のテクニックで手間暇かけて作ったわけですから、このころのオートクチュールの作品というのは、真の意味で芸術品といえます。
アラブのお金持ちが買うようになったのは、石油の需要が高まってきてから、この間の湾岸戦争までですね。
当時、アラブ向けの色とか柄が出回りました。

 

現在のファッションと今後

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール13クリスチャン・ディオール 1948年
「All About Yohji Yamamoto」より
ISBN978-4-579-30446-2

 

  • クリスチャン・ディオール
    写真:クリフォード・コフィン
    ヴォーグ
    1948年

最近の傾向はディオールの時代のような厳格な服は要求されていません。
今は当時のラインをどう崩していくかに中心が置かれています。
50年代が形を追求したのなら、60年代は色の時代、70年代は素材の時代ということになります。
そうすると、形も色も素材も出てきたので、今はそのすべてを融合する時代ということになります。
その次にはシンプルなものが出てくるかもしれません。
よほど大きな変化でもない限り、シャープなラインに戻ることはないと思います。

 

オートクチュールとプレタポルテ

ヨウジヤマモト080 画と機 ニック・ナイトヨウジヤマモト 1986年
「Yohji Yamamoto」より
ISBN978-1-85177-627-6

 

美しくなりたいというのは世界中の女性の願望ですが、皆がオートクチュールに手が届くわけではありません。
カルダンの功績は、オートクチュールの美しさや感覚を残しながら、大衆の手の届くプレタポルテを確立したことにあると思います。
プレタポルテにすることに彼の使命感があったのではないでしょうか。
プレタポルテは60年代から始まり、70年代に全盛期を迎えました。
プレタポルテの他のデザイナーもカルダンと同じように力を持っています。
美しいものを大衆のものにした点で、カルダンは偉いと思います。
確実に言えることは、オートクチュールの最高の技術と、最高の素材を用いるという芸術は、絶対に残しておくべきだということです。
それがある国は文化が高いということになると思います。
そういう意味では国策としてオートクチュールは残しておくべきだと思います。
フランスでは一時は国の援助があったんだそうですが、それがなくなっても、それぞれの自社の努力でオートクチュールは続けてほしいと思います。

今はどこへ行ってもオートクチュールのプレタポルテがありますね。
あのシステムはいいと思います。
色といい形といい非常に近いものですから。
オートクチュールが文化を芸術化したとすれば、プレタポルテは文化を大衆化したということでしょうか。
日本人もだんだん見る目が肥えてきています。
やはり、何でも本物を見ることからセンスは磨かれるんですね。

「華麗なるオートクチュール展」図録p20-22より引用

1991年(談)