ディオールの作品とラインの変遷 小池千枝先生

華麗なるオートクチュール」展の図録に、ディオールについての小池千枝先生のコメントが掲載されています。
今回は、この小池千枝先生のコメントを紹介します。

 

世界を魅了し続けた10年間
ニュールックからスピンドルまで

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール04「華麗なるオートクチュール」図録より

 

それでは、引用します。

1947年、ディオールの発表したニュールックが、まだ戦争の記憶も生々しいパリのモード界に一大センセーションを巻き起こした。
戦争中のミリタリールックに飽きていた人々は、ディオールの手によって、再びエレガントなファッションに目覚め、彼が次々と発表するラインに心を奪われた。
チューリップラインやHライン、Aラインなど、女性をより女性らしく見せるディオールのラインの変遷は、戦後のファッションの歴史そのものである。

 

ニュールック:ディオールの功績は、戦後のオートクチュールを確立したこと

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール03「華麗なるオートクチュール」図録より

 

ディオールは’47年のニュールック以来10年間、年2回のコレクションで20体のラインを発表しています。
’47年に発表されたニュールックでポピュラーなものは、デイタイムドレスです。
ニュールックは三角形と逆三角形、それにウエストをマークした、非常にシャープなラインが特徴です。
つまり、女性の形の中で、ウエストが細くて、胸があって、腰があって、という三つのポイントをきちんと生かしたラインといえます。
新しくしかも非常にわかりやすい形だったので、アメリカ人も「ニュールック」と言ったのでしょう。

ニュールックから10年間、さまざまな形を追い続けたのは、ディオールならではの仕事ですね。
彼が本気で作っていたのは、ソワレよりもむしろデイタイムの服なんです。
私たちが東京会館でディオールのショーを見たときに感じたのは、ああ、1着のスーツから始まるんだな、ということでした。
デイタイムのスーツから始まるんですね。
ソワレはスーツに従属するものに思えました。

クリスチャン・ディオールの功績は、戦後何もないところから、美しいものを持って立ち上がったこと。
そして何よりも形から入っていったことだと思います。
戦争が’45年に終わってから、わずか2年で一つの強烈なファッションラインを作ってモードを引っ張っていったわけですから。
シャネルなどはディオールが次々にラインを発表することに対してずいぶん批判的でした。
でも、私は、戦後、モノが何もないところから立ち上がっていくには、シャープな形が必要だったと思います。

 

ニュールック以降のラインの変遷

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール06「華麗なるオートクチュール」図録より

 

  • 左 :1947年
    ニュールック
  • 中央:1950年
    バーティカルライン
  • 右 :1950年
    オブリックライン

ディオールはラインを次々と発表していきました。
一つのラインが出ると、消費者は次のラインを期待するものです。
私たちも、ずっと甘い物ばかり食べていると、次には辛いものが食べたくなる。
嗜好は変わるんですね。
直線的なライン—私はニュールックを”X”(エックス)、最後のスピンドルラインを”0″(ゼロ)と呼んでいるのですが—”X”から始まった作家が”0″で終わった時、自分の命も終わる、これは非常に宿命的です。
“X”で始まり”0″で終わるラインの中に、女性のすべての形態美が含まれていたように思われます。
その意味で、彼はまさに創造者でしたし、戦後の何もないところから影響力の強い「形」でモード界を引っ張っていった功績は大きいと思いますね。

“X”で始まったニュールックはオーバルライン、クーポルラインなどを経て、’54年のチューリップラインは、Hライン、Aライン、アローラインへと次々と変化します。
胸のとらえ方一つをとっても、チューリップラインは豊かな胸を強調したのに対し、2年後のアローラインでは、より一般的な女性の胸をイメージしています。
女性のラインのとらえ方が非常に微妙に違ってくるんですね。
チューリップラインの女性像は、アクの強い、グラマーな感じですね。
ですから、ヨーロッパの人にはチューリップラインは割に受けたんです。
これは厚ものの感覚で、胸を計画的にふくらませてきたわけですね。
チューリップラインのデザインをしようとすると、日本人のモデルに胸パッドを三つも入れるんですよ。
そうしないとラインが出てこないんですね。
仮縫いが終わるとパッドがポロポロと六つも落ちたものです。
ああいう造形線があったから、ブラジャー、ファウンデーションの時代が始まったのではないでしょうか。
チューリップラインを着ようとすると、どうしても強調が必要になるんですね。

 

チューリップからHラインへ

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール07「華麗なるオートクチュール」図録より

 

  • 左 :1951年
    オーバルライン
  • 中央:1953年
    クーポールライン
  • 右 :1954年
    チューリップライン

人間には、ウエストはもっと細く、胸はもっと豊かにという欲望があるんです。
ニュールックのように直線的なものから、肩を丸めて腰を丸めたクーポールラインへと変化しましたけれど、豊かな胸が欲しいということで今度はチューリップラインが出てきました。
そこまで行くと、女性のグラマラスな極限ですね。
そうすると、これに飽きるんですね。
次に胸とウエスト、ヒップのどこに境界があるのかわからない微妙なラインが好まれるようになります。
そこで、彼は思いっきりチューリップラインの豊かな胸をスッキリさせたHライン、アッシュを発表します。
ディオールがラインとしてはっきり目覚めてきたのは、クーポールラインからチューリップラインにかけて、そして非常に大きな変化というのはこの、チューリップラインからHラインですね。

 

日本人に受けたHライン

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール08「華麗なるオートクチュール」図録より

 

  • 左 :1955年
    Yライン
  • 中央:1956年
    アローライン
  • 右 :1956年
    マグネットライン

このアッシュ(H)のラインが発表された時、私はちょうどパリのサロンで見ていました。
で、フランス人に「アッシュ(H)ラインはどう?」って聞きましたら、「私たちはキライだ」って言うんですよ。
自分たちの胸は豊かですからね。
一番受けたのが日本人。
胸があまり豊かではないですから。
アッシュ(H)ラインのスーツはだいたい日本人に向きますね。
その後、Hラインの後に生まれたのがAラインです。
Aラインというのは裾の広がりによって、胸をより可愛らしくみせるラインです。
ファッションの造形というのは、極限までいったら降りてくる、降りてきたらまた上がっていくというように、変化します。
つまり、チューリップラインからマイナスしてHラインが生まれ、これをさらにマイナスしてAラインが生まれたことになります。
彼は胸の周りのラインをそうやって変化させていたわけです。
中でもチューリップラインからHライン、Aラインへの変化は非常に印象的ですね、

Aラインになると、「私はあれほど小さな胸じゃないわ」と言う人が何人かいたりして、ノーマルな婦人から嫌われます。
で、普通の婦人、つまり一般の女性にも受け入れられる、ほどほどの胸で、ほどほどの細さでほどほどの立体感、これに戻ったのがYラインでした。
その後、アローラインへと移るわけですが、ここではどちらかというと、まろやかな肩を主役に持ってきました。
これまでウエスト、バストマークから肩周辺に来た時点で、ディオールははたと困るわけです。
そこで次に発表したのがリバティーラインでした。
このラインでディオールは静的なラインから動いた時の美しさ、つまり動的なラインへと変化していきます。

 

スーツにみるリバティーラインの美しさ

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール02「華麗なるオートクチュール」図録より

 

リバティーラインは動的な肩とゆったりと包まれた胸が特徴です。
このラインはカッティングの上でも非常に微妙で、カッティングには少し無理があります。
無理をしてウエストを横に引っ張ってくることによって、そこに何とも言えない微妙なラインが動くたびに出てくるわけです。
初めから意図的に描いた鈍角と、付随的に出て来た鈍角とは違うんです。
そういう意味では前裾のカッティングは非常にデリケートです。
そしてダーツは何もない。
エレガントな感覚といえば、これが一番でしょうね。
技術的にも高度なものです。
私は彼のカッティングの中でこれが最高だと思います。
このラインを見てください(上の写真)。
私は最高のスーツだと思いますよ。
これが美しいとわかったら、かなりファッションのわかる人です。

肩先というのは、腕の境界線ではないんです。
ですから、ドロップショルダーが一番着やすいですね。
ドロップショルダーから出てくるゆとりがものすごくきれいなんです。
このスーツを着て歩くのを見ると、最高にきれいです。
本当に自由な雰囲気で、あなたの自由のままお召しくださいという感じです。
究極のジャケットといえますね。
ディオールがモデルと並んでいる、この表情を見てください(上の写真)。
彼がこんないい表情をしているということは、かなり自信があったのだと思います。

*リバティーラインのカラー写真は、「ファッションデザイナーのポートレート」にあります。

 

スピンドルラインとディオールの死

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール09「華麗なるオートクチュール」図録より

 

  • 左 :1957年
    リバティーライン
  • 中央:1957年
    スピンドルライン
  • 右 :1958年(サンローラン)
    トラペーズライン

’57年の秋に発表されたスピンドルラインは、傑作中の傑作です。
日本にもサックドレスとして紹介され、全国で愛されました。
このラインの美しさはモデルが着ることによって引き立つもので、人体とシルエットの間に「間」をとっています。
動きによる「間」の変化が何ともいえず微妙で美しいですね。
ディオールは実に良く体の造形を知っていることがわかりますね。
これに比べれば、水平、垂直というアメリカのパターンは幼いですね。
細いところを細く、広いところを広く、そして最後にその逆をやったのもディオールだったわけです。

ディオールはこのラインを発表して、まさに燃えつきました。
次から次へとラインを作るよう要求され、これに応えていかなければならないというのは、心身ともに疲れることだったでしょう。
好きで作るよりは、苦しんで作ってきたのではないかと思うくらいです。
こうしたラインの遷り変わりを考えると、ディオールの10年間はまさに画期的だったといえるでしょう。
デザイナーがどのようにして作品を生み出していったかというこのディオールの例は、私や学生にとって大切な教材です。
絶えず新しいものを作らなければならないというのがデザイナーの宿命ともいえますね。

マスコミに取り上げられた時点で、オートクチュールは組織的な一大企業へと発展していきます。
プレス担当などが活躍し、きちんとした会社組織ができました。
ディオール自身も組織が大きくなりすぎて自分の手には負えないところへ行ってしまったことを嘆いていたという話が伝わっています。
本来はもっとひっそりと、自分の目の届く範囲でやっていきたかったんだと思います。

 

社会生活と服の役割、そしてスーツ

小池千枝先生 クリスチャン・ディオール05「華麗なるオートクチュール」図録より

 

服としては、まず、昼間の服であるデイタイムがあって、アフタヌーン、カクテル、そしてソワレがあるわけですけれど、オートクチュール全盛期にはカクテルはあまりありませんでした。
次第にカクテルという略式な社交が行われるようになって、アフタヌーンという概念がかすんできました。
以前は午後の3時になればアフタヌーンがあって、お茶があり、8時、9時になってディナーになりました。

ショーなどでもソワレに注目する人が多いようですが、私はむしろデイタイムものに注目します。
というのも、ソワレを着るのは夜の社交の場に出る本当に限られた人々ですが、スーツは世界中の女性が着るからです。
必要性があるんですね。
デイタイムの方が時間的にも長いですし、第一、ソワレを着ていくところは限られますから。
デイタイムの服こそ、素材の良さとセンス、いい仕立てと全体のコーディネートが必要になります。
ソワレ中心のオートクチュールは、実際の生活とずれてしまったということがいえると思います。
ですから、作家の力量を測るのはやはりスーツでしょう。
今、音楽会やオペラに行くのにソワレを着て行かれる方はかえって少ないですね。
むしろシックなスーツを着ていかれたほうが格好良いと思いますね。

今はスーツ万能の時代です。
スーツさえ持っていれば、どこへ行っても恥ずかしくないでしょう。
ディオールがラインの中でスーツを発表し続けたということに、彼の時代を読む目の確かさを感じます。
’53年(昭和28年)に東京会館でディオールのショーが開かれて、Hラインに近いスーツが出てきた時、ああ、まさにこういう時代なんだな、と実感しましたね。
スーツでディオールの作品を追っている人はおそらくいないと思います。
現物や写真があまり残ってないんですね。
ヴォーグでもデイタイムの服はあまり撮っていないですね。
スーツが残っていない理由は、おそらく着て着古してしまうんでしょうね。
普段使えるものですから。
これに比べてソワレは一度着てしまえば人は覚えているわけですから、寄付するか骨董屋へ行ってしまう。
それで多くが残っているわけです。

「華麗なるオートクチュール」図録p17-21より引用

 

小池千枝先生が文化服装学院名誉学院長になった、1991年の談話でした。

「ディオールの作品とラインの変遷 小池千枝先生」には、テーマの都合上省略した部分があります。

省略部分は、「ディオールとサンローラン 小池千枝先生」で読むことができます。

小池千枝先生 第1回を読む