小池千枝先生 第9回

1991年8月、小池千枝先生が学院長を退き、文化服装学院名誉学院長に就任しました。     

 

文化服装学院名誉学院長

小池千枝先生028小池千枝先生 1995年1月

 

小池千枝先生が名誉学院長になられたことを、夏休み中だった私は装苑誌上で知ったか文化出版局で知ったか記憶が定かではありませんが、ショックを受けたことは今でも鮮明に覚えています。 

私が文化服装学院に通っていた1991年、小池千枝先生は75歳でした。

小池千枝先生は、新宿駅から特急で30分くらいの距離の、私鉄沿線に住んでいらっしゃいました。

そしてご自宅は、小高い丘の上に建っていました。

担任の先生が、
「小池千枝先生は、毎朝ご自宅から駅まで歩き、電車に乗って通学(通勤?)しています。」
と教えてくださったことがありました。

小池千枝先生が今後、
「文化服装学院に、毎日はいらっしゃらない。」
ということを聞き、寂しさを感じました。

 

放課後、小池千枝先生が私を呼んでくださったこと

小池千枝先生 山本耀司018山本耀司先生
「All About Yohji Yamamoto」文化出版局より
ISBN978-4-579-30446-2

 

文化祭も終わった、ある放課後の出来事です。

私はボディにウールジョーゼットをのせ、布地の表情を見ていました。

すると、知らない先生が教室に来て、
「佐藤さんはいますか?小池千枝先生が呼んでいます!」
と、私を呼びました。

担任の先生が、
「佐藤さん、早く行きなさい!」
と私を促しました。

私は呼びに来てくださった先生と一緒に、名誉学院長室に向かいました。

名誉学院長室では、小池千枝先生と山本耀司先生(装苑賞の審査員の時は先生と呼んでいます)が、楽しそうに話をしていらっしゃいました。

 

絵は良いんだけどね・・・

小池千枝先生029 装苑賞候補作品 佐藤真樹山本耀司先生に選んでいただいたデザイン画と服
装苑1992年2月号より

 

「耀司さん、うちの学生の佐藤さん。
大学を出てから聴講生として来ているの。
装苑賞にも応募していて、選ばれているようなの。」

と小池千枝先生が私を、山本耀司先生に紹介してくださいました。

山本耀司先生は一言、
「知っています。絵は良いんだけどね・・・。」
と、おっしゃいました。

このとき私は、
「絵はいいけれど、服はダメということかあ。」
と落ち込みました。

しかし今では、
「山本耀司先生に、デザイン画を褒められた。」
とプラスに考えています。

装苑賞に応募していたとき、意外にも私のデザイン画を褒めてくださった先生はたくさんいらっしゃいました。

  • 松田光弘先生
  • 山本耀司先生
  • 小池千枝先生
  • 三宅一生先生

にデザイン画を褒めていただきました。

私が山本耀司先生の大ファンであることを、小池千枝先生はよくご存知でした。

呼んでいただいて、とても嬉しかったです。

 

立体裁断の縫い代はたくさん付けておきなさい

小池千枝先生に教わったことを、思い出しました。

「立体裁断の縫い代は、たくさん付けておきなさい。」
ということです。

小池千枝先生がパリのピエール・バルマンのアトリエで、立体裁断の様子を見学した時のことを教えてくださいました。

その様子を、小池千枝先生は次のように話してくださいました。

「初めは、ロングコートを作るつもりで立体裁断を始めました。」

「ロングコートの割に、身幅がとても広く裁断されていました。」

「チェックのたびに、どんどん着丈が短くなっていきました。」

「バランスを取るために、身幅は少しずつ広くなっていきました。」

「そして完成したものは、ショートコートでした。」

「とても身幅の広い、ショートコートでした。」

「最初から縫い代を多く付けていたから、こういう風にできたのね。」

「これは極端な例かもしれないけれど、縫い代を多く付けていることで、デザインの可能性が広がります。」

「縫い代を少ししか付けていなくて、途中で布が足りなくなって、セロハンテープで止めるなんて絶対ダメですよ。」

私はときどき、縫い代を少ししか付けないことがあります。

そんなとき、小池千枝先生のこの言葉を思い出し、
「まだまだ、だなぁ・・・。」
と反省するのです。

第10回に続く・・・