小池千枝先生 第2回

小池千枝先生と出会う数ヶ月前、私は東京理科大学の3年生で卒業研究を行うための研究室を決める時期になっていました。

研究室の選択は卒業後の就職や進学にとって、とても重要な意味を持っていました。

なので学生は、3年間の成績順に研究室を選ぶことができました。

私は大学卒業後、
ファッションデザイナーになろう。」
と思っていましたから、進級に必要な単位しか取っていませんでした。

成績も悪かったので、人気のない研究室に入りました。

 

東京大学 先端科学技術研究センター軽部研究室

軽部征夫教授軽部征夫教授 (現東京工科大学学長)
東京工科大学のホームペーから写真をいただきました

 

仲の良かった友達が、
「東京大学 先端科学技術研究センター軽部研究室に行く。」
と言いだしました。

本郷以外にある東京大学の研究室は、私立大学から4年生を「外研生」として受け入れていました。

私が入った東京理科大学の研究室からは、3名の外研生を東京大学の軽部研究室に出せるようになっていました。

私は、
「友達が東大に行くなら、私も東大に行った方が面白い1年を過ごせるだろう。」
と思い、軽い気持ちで東京大学の軽部研究室を希望しました。

希望者が4人いたので、じゃんけんをしました。

そしてじゃんけんに勝った私が、東京大学の軽部研究室に行くことになりました。

研究室に入ると軽部教授から、卒業後の進路を聞かれました。

友達2人は
「大学院に進学する。」
と答えました。

一方私は、
「卒業後はファッションデザイナーになりますので、就職先は紹介していただかなくて大丈夫です。」
と答えました。

しかしそれからしばらくして、不思議な出来事が起きていくのです。

 

日清紡

自宅に届いた会社案内の中に、日清紡のものがありました。

日清紡では文化服装学院に毎年、社員を聴講生として出向していました。

私は、
「これだ!」
と思い、軽部教授に日清紡を紹介していただけないか聞いてみました。

軽部教授は、
「技師長を知っているから、紹介してやる。」
と言ってくださいました。

私は描きためたデッサンを持参し、日清紡に行きました。

日清紡からは、

  • 技師長
  • 人事部長兼労政部長
  • 東京繊維営業部長
  • 東京繊維部レース課課長

の4人の方が、私の面接をしてくださいました。

「どんな変わり者が来るのか。」
と、興味深々だったそうです。

日清紡の方々は、私の話を真剣に聞いてくださいました。

そして私にとって一番良い方法は何かを、真剣に考えてくださいました。

しばらくして、東京繊維営業部長が、
「文化服装学院の小池千枝学院長を知っているから、紹介しましょう。」
と言ってくださいました。

「文化服装学院に入るのが、ファッションデザイナーへの一番近道なんじゃないか。」
と考えてくださったのでした。

 

いざ文化服装学院へ

小池千枝先生04 コシノジュンコ 山本耀司 金子功 コシノヒロコ 松田光弘昭和58年12月1日、文化服装学院十代目学院長就任パーティで
「小池千枝ファッションの道」より
ISBN4-579-30334-2

 

文化服装学院では、新入生歓迎のファッションショーが行われていました。

このファッションショーを見れば、
「文化服装学院のことがよくわかるだろう。」
ということで、ファッションショーに招待していただきました。

文化服装学院の学生は私のことを、
「小池千枝先生に連れられている、得体の知れない奴は誰だろう。」
と不審に思ったと思います。

私はその後、何度も小池千枝先生に連れられて、大勢の方の前を歩く機会がありました。

その度にとても恐縮したことを、今でも思い出します。

小池先生は、
「あなたは感性だけの人じゃなさそうね。ここには感性だけでやってしまうすごい人が何人もいます。覚悟していらっしゃい。」
とおっしゃいました。

私は、お金がないことを告げました。
(大学の研究室に通っていたころ、お金がない私を不憫に思った先輩がよくご馳走してくれました。ありがとうございました。)

小池先生は
「気にしないでいらっしゃい。」
と言ってくださいました。

私が、小池千枝先生に出会った瞬間でした。

 

ありがとうございました。

小池千枝先生05 高田賢三 イヴ・サンローラン昭和53年、高田賢三さんと二人でサンローランのアトリエを訪ねたとき
「小池千枝ファッションの道」より

 

軽部教授、日清紡の方々、小池千枝先生、本当にお世話になりました。

ありがとうございました。

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