高田賢三 KENZO

現在では、高田賢三に関する本はほとんどありません。
昔の雑誌を取っておけば良かったと、今になって後悔しています。

 

高田賢三

高田賢三 KENZO 01Kenzo Menswear 1985年
「20TH CENTURY Fashion」より
ISBN978-3-8365-2279-3

 

高田賢三

  • 1939年 兵庫県姫路市に生まれる(2月27日)
  • 1958年 文化服装学院の師範科に入学
  • 1961年 第8回装苑賞を受賞
  • 1965年 渡仏
  • 1970年 「ジャングル・ジャップ」をオープン
  • 1973年 「KENZO」の名でパリ・プレタポルテコレクションにデビュー
  • 1984年 フランス政府から芸術文化勲章(シュヴァリエ位)受章
  • 1987年 ケンゾー パルファムを設立
  • 1993年 LVMHがケンゾーの株式を買い取る形で新会社を設立
  • 1998年 フランス政府芸術文化勲章(コマンドゥール位)受章
  • 1999年 ニューヨークにおいてタイム・フォー・ピース・アワード(ファッション部門)受賞
         5月 紫綬褒章を受章
         10月7日に行われた2000春夏コレクションで引退

 

小池千枝先生のケンゾー論 水平袖

高田賢三 KENZO 02水平袖 ケンゾー
「小池千枝 ファッションの道」より

 

  • 小池千枝 ファッションの道
    ISBN4-579-30334-2

に、ケンゾーについて詳しく書いてあります。

以下に、引用します。

「先生はいつもケンゾーね」といわれた。
小池がなぜ高田賢三を取り上げるのかの意味を理解してもらえず、疑問に思う学生の多いことに気がついた。
ここは「ケンゾー論」をきっちりしておく必要があると思った。
小池のケンゾー論を聞く・・・・・。

確かにディオールは、戦後すぐに彼の思想を感性によって、10年にわたって彼なりの厳しいラインの打ち出しによってファッション界をリードした。
というよりも戦後の空っぽの中に価値のあるモードを作り出した偉人といっても過言でないと思う。

しかしそれも1957年までで、彼の死によってモードは次の世代の若きサンローランカルダンバルマンクレージュなどによって受け継がれた。
1954年に復活したシャネルによって現代的なモードも生まれ、ヨーロッパのクリエーターの全盛時代が出現する。
それは1950年から60年のこと。

1970年代ともなるとプレタポルテの時代となり、オートクチュール時代とはまさに別のファッション時代に入り、東洋人のクリエーターとしての力量が確かめられる時代に入った。
確かにディオールに教えられ、サンローランを知り、カルダン、バルマン、ジバンシーを認め、バレンシアガの気骨を知る。
が、知っただけに、それとは違ったもののあることもまた知った。

「そのときわれわれのホープとして現れたのが、だれあろう高田賢三その人だった」と小池はいう。
パリに学ぶこと数年。
時代は彼にチャンスを与えた。

1枚のニットがある。
その当時の袖つけは、ほとんどが身頃に対して45度の角度でつけてあった。
ところがケンゾーのニットセーターは、なんと袖は身頃に対して水平についている。

45度と水平はどう違うのか。
45度は一般概念の袖つけでしかない。
ところがケンゾーの水平袖はファッションが叫ぶ開放された袖つけであり、人の上肢帯の開放だった。
厳しく重苦しい封建制から脱却し、ファッションの自由化をうたい上げたものといってよい。
これは70年代初頭のサンローランが女性にパンツの美しさとエレガンスと下肢帯の自由を知らせてくれたものと同格ではないかと思う。
水平袖はだれにも着られ、スポーティな軽やかさと動きへの衝撃を与えた。

この水平袖はどの民族も持っていた衣服の原点である。
それを新しい息吹をもって生き返らせた。
日本のきもの、中国服の古典はいずれも水平袖だった。
ギリシャ時代のキトンもしかり。
しかもケンゾーは、ニットという伸縮性に富んだもので作ったところが並のものではなかった。
その後の作品を注意深く見ることで、彼の仕事の感覚に驚くばかり。

当時、デザイン科2年の100人の学生たちに彼の作品を見せたとき、さすがにデザインを志す学生たちである。
教室内に一種のどよめきのあったのを覚えている。
学生たちはクリエーターと同格に近い感動を感じたのだった。

 

小池千枝先生のケンゾー論 フォークロア

高田賢三 KENZO 03フォークロア ケンゾー
「小池千枝 ファッションの道」より

 

1975年に初めてコレクションを、墨田区の日大大講堂で大出一博の演出で行なった作品の1点。
あのときは農民の持つ民族衣装をファッションに併用化させた、華麗なショーだった。
いわゆるフォークロアで、そのことによってケンゾーは、色彩に対する豊かで大胆なプレタポルテを作り出していく。
オートクチュール時代はかなり限られた色彩で厳密な形で作られたものも、プレタポルテになってから豊かな色彩になったのは、ケンゾーに負うところ大だ。

たしかにスキャパレリによってショッキングピンクや冴えたブルーなど、強い色彩が展開されていたのは知っている。
が、1950年代はまだそれを受け入れる下地がなく、あの「プラスバンドーム」の店を閉じてしまった。
1954年にはその店に働いていたジバンシーによって色彩感覚は受け継がれる。

ケンゾーの色彩は多彩だがやさしく、人に受け入れられた。
ケンゾーは色彩の王様だ。
いっときは民族衣装感覚の楽しさも、十分に教えてくれた。
ケンゾーの服は自分の主張を強く見せるのではなく、だれにでも着てほしいやさしさがある。

イギリス・バースの衣装美術館。
ここはいつも時代の中でデザイナーのものがいち早くコレクションされるので、たびたび訪れることにしている。
あるとき、たぶん1977年かと思う。
入館するなり、ケンゾーのベージュの不ぞろいのドレスに出会った。
彼が発表してから数ヶ月しかたっていない早さで。
着装されていたマヌカンが山口小夜子そっくりのものであった。

そこの学芸員がだれかは知らないが、シャープな時代感に驚いた。
今も続いているあの不ぞろい、不規則、アシンメトリーのデザインの先駆けだった。
着こなしの自由さと豊かさ、その服はどんな目的にも合わせることのできる自由と面白さがあった。

「こういっていると限りがありませんから、ここでやめましょう」と小池。
いいたいのはこうだ。

高田賢三は1人のクリエーターであるかもしれないが、その人の作るものからいつもやさしいものが伝わってくる。
これからのデザイナーを志す若い人たちに深く広くものを見、考えてほしい・・・・・と。

「小池千枝 ファッションの道」p155-161から引用

 

まとめ

1970年代のファッション02 ケンゾーセーター 高田賢三(ジャップ) 1971年
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1

 

  • セーター
    高田賢三(ジャップ)
    1971年
    白、ピンク、赤、紫のウール・ニット
    袖口と裾はリブ編み

山本耀司は高田賢三について、

初めて、高田賢三さんを紹介された時の話。
同業の大先輩なんですけど、会った瞬間に「何か手伝うことありますか」って言いそうになっちゃった。
それはね、賢三さんのカリスマだと思った。
本物だけが持っているカリスマですね。

「BRUTUS 855 2017年10月1日号」p80より引用

と語っています。

小池千枝先生と山本耀司が語る高田賢三に、ファッションデザイナーとして憧れます。

私がデザインする服に、やさしさはあるだろうかと考えました。

私も、だれにでも着てほしいやさしさを持ちたいと思いました。

 

高田賢三については、以下も参考にしてください。

 

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