イルマリ・タピオヴァーラ

数年前から、イルマリ・タピオヴァーラの名前を見るようになりました。
なぜイルマリ・タピオヴァーラの名前は、長い間忘れられていたのでしょうか?

 

イルマリ・タピオヴァーラ

イルマリ・タピオヴァーラ02イルマリ・タピオヴァーラ
「ELLE DECOR No.121 2012年8月号」より

 

イルマリ・タピオヴァーラ(Ilmari Tapiovaara)

  • 1914年 フィンランドのタンペレに生まれる(9月7日)
  • 1934年 旧ヘルシンキ芸術デザイン大学インテリアアート学科に入学
  • 1937年 パリのル・コルビュジエの事務所で働く
  • 1938年 Asko社のアート部門長を務める
  • 1941年 Kerava木工業社のアート部門長を務める
  • 1946年 ヘルシンキ大学学生寮の家具をデザイン
  • 1950年 旧ヘルシンキ芸術デザイン大学で教鞭をとり始める
  • 1951年 妻のアンニッキとインテリア建築事務所を開設
  • 1952年 イリノイ工科大学助教授に就任
  • 1953年 ミース・ファン・デル・ローエの事務所で働く
  • 1959年 プロ・フィンランディア賞を受賞
  • 1965年 ヘルシンキ工科大学特認教授に就任
  • 1971年 国家芸術デザイン賞を受賞
  • 1972年 デザインスタジオ・イルマリ・タピオヴァーラを開設
  • 1999年 死去(1月31日)

 

復刻

イルマリ・タピオヴァーラ03ティーティー イルマリ・タピオヴァーラ 1940年
「Casa BRUTUS NO.162 2013年9月号」より

 

  • ティーティー(TEE-TEE)
    イルマリ・タピオヴァーラ
    1940年
    コンパクトなサイドテーブル
    アアルトの作品に影響を受けている

イルマリ・タピオヴァーラの特集記事が、

  • 「ELLE DECOR No.121 2012年8月号」
  • 「Casa BRUTUS NO.162 2013年9月号」

に載っていました。

イルマリ・タピオヴァーラのデザインした製品が、たくさん復刻されたのでした。

名作と言われる家具を、イルマリ・タピオヴァーラはデザインしました。

ではなぜ、長い間生産が途絶えていたのでしょうか?

 

フィンランドを救った椅子

イルマリ・タピオヴァーラ04ドムス イルマリ・タピオヴァーラ 1946年
「Casa BRUTUS NO.162 2013年9月号」より

 

  • ドムス(DOMUS)
    イルマリ・タピオヴァーラ
    1946年
    ヘルシンキ大学の学生寮「ドムス・アカデミカ」の家具デザインを任された際に誕生した肘掛け椅子
    後に一般販売されてシリーズ化した

フィンランドは、第二次世界大戦の敗戦国でした。

当時のフィンランドに残ったのは、バーチ(白樺)だけでした。

イルマリ・タピオヴァーラは、白樺を使ってドムスチェアをデザインしました。

ドムスチェアは、戦後のプロダクト・デザインとして初めての経済的な成功でした。

ドムスチェアは、フィンランドを救ったとも言われています。

イルマリ・タピオヴァーラは、国際的デザイナーとなりました。

 

海外とモダニズム

イルマリ・タピオヴァーラ05ピルッカ イルマリ・タピオヴァーラ 1955年
「Casa BRUTUS NO.162 2013年9月号」より

 

ピルッカ(PIRKKA)
イルマリ・タピオヴァーラ
1955年
中膨らみする白樺材の脚が特長
冬の木立のようなシルエット
座面やテーブル面はパイン材を使用

イルマリ・タピオヴァーラは学生時代から、

  • イギリス
  • フランス
  • スウェーデン

に見識を深める旅に出ていました。

卒業後も精力的に海外を訪ね回り、

  • ル・コルビュジエ
  • ミース・ファン・デル・ローエ

といった名だたる人物に師事しました。

そして、モダニズムの技とセンスを磨いていきました。

 

デザイン界のスターへ

イルマリ・タピオヴァーラ06マドモアゼル イルマリ・タピオヴァーラ 1956年
「ELLE DECOR No.121 2012年8月号」より

 

  • マドモアゼル(MADEMOISELLE)
    イルマリ・タピオヴァーラ
    1956年
    中央が膨れた短めの脚と
    直線的で高く延びた背もたれを持つスポークチェア

ドムスチェアの成功がもとで、1952年にアメリカのイリノイ工科大学に招聘されました。

イリノイ工科大学は、通称「ニュー・バウハウス」と呼ばれていました。

華々しいキャリアを手に、イルマリ・タピオヴァーラは帰国しました。

イルマリ・タピオヴァーラの充実した時代は、約20年続きました。

 

不遇の時代へ

イルマリ・タピオヴァーラ07ルッキ イルマリ・タピオヴァーラ 1950年代
「Casa BRUTUS NO.162 2013年9月号」より

 

  • ルッキ(LUKKI)
    イルマリ・タピオヴァーラ
    1950年代
    最低限の構造で腰掛ける人の身体のラインと体重をうまく受け止める
    計算されたデザイン

1970年代になると、新しい理想としての「アノニマス・デザイン」が登場しました。

そして、デザイナーの名前はメディアから姿を消しました。

世の中には、「スターデザイナーなんて必要ない、それこそが ”デモクラティック” なのだ。」という空気が充満していました。

デザイン界のスターだったイルマリ・タピオヴァーラは、批判と糾弾を受けました。

そして、仕事も激減しました。

こうしてイルマリ・タピオヴァーラの椅子は、歴史から姿を消しました。

 

まとめ

イルマリ・タピオヴァーラ08キキ イルマリ・タピオヴァーラ 1960年
「Casa BRUTUS NO.162 2013年9月号」より

 

  • キキ(KIKI)
    イルマリ・タピオヴァーラ
    1960年
    シンプルで直線的なスチール材の骨組み
    モダニズムの原点に立ち返るかのような端正で隙のないイメージ

社会の前には、個人など無力です。

どんなに素晴らしいものをデザインしても、価値観が変われば歴史の闇に葬られてしまいます。

イルマリ・タピオヴァーラは晩年、パーキンソン病を患いました。

人生について考えさせられる、イルマリ・タピオヴァーラの生涯でした。

 

こちらも参考にしてください。

 

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