19世紀末ころに日本から輸出された服

19世紀末から、多くの絹製の服や絹製品が日本から輸出されました。
それらの製品は、西洋の市場を調査した上で製作されたのでした。

 

絹製品の輸出

椎野正兵衛商店 輸出用室内着02輸出用室内着 椎名正兵衛商店 1875年ころ
「ファッションとアート 麗しき東西交流」図録より
ISBN978-4-89737-894-7

 

  • 輸出用室内着
    椎野正兵衛商店
    1875(明治8)年ころ
    茶の絹羽二重に手刺しキルティング
    衿、カフス、ポケット、裏地は紫の絹羽二重
    多色の絹糸で菊柄の刺繍
    組紐ベルト

横浜港が開港した1859(安政6)年から、生糸は日本の主要な輸出品でした。

そして、より付加価値の高い絹製品の輸出が望まれていました。

これを受け、椎名正兵衛らが1873年のウィーン万博に派遣されました。

椎名正兵衛は西洋の市場調査後、市場性の高い室内着を製作して輸出しました。

 

輸出用室内着

日本製 輸出用紳士室内上着輸出用紳士室内上着 日本製 19世紀後半
「ファッションとアート 麗しき東西交流」図録より

 

  • 輸出用紳士室内上着
    日本製
    19世紀後半
    茶の絹羽二重に手刺しのキルティング
    多色の絹糸で花と鳥柄の刺繍

ドレスは顧客のサイズに合わせるために、複雑な縫製技術が必要でした。

一方、室内着は厳密なサイズにとらわれず比較的ゆるやかに仕立てることができました。

そのために室内着は、日本での製造が可能でした。

室内着は、羽二重に中綿を挟み入れて保温性を高めています。

その厚みをつぶさないように、柔らかく手刺しで仕上げられています。

 

エステティック・ドレス

ジャポニスム05ティ・ガウン 日本製 1895年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1

 

  • ティ・ガウン
    日本製(リバティ商会取り扱い)
    1895(明治28)年ころ
    ピンクの精好
    ジャボとプラストロンは楊柳
    菊の刺繍
    背にピエモンテーズ風プリーツ
    ハンギング・プリーツ
    裏地は羽二重に木綿の中綿を裏打ちした、
    ミシン・ステッチのキルティング

19世紀末、ロセッティなどのラファエル前派の画家たちが「エステティック・ドレス」を推奨しました。

このティー・ガウンは、「エステティック・ドレス」の流れを組んでいます。

リバティ商会は、「エステティック・ドレス」の運動に同調していました。

 

レッグ・オブ・マトン袖

ファッションとアート横浜美術館03輸出用ティー・ガウン 日本製 1895年ころ
「ファッションとアート 麗しき東西交流展」図録より

 

  • 輸出用ティー・ガウン
    日本製
    1895(明治28)年ころ
    紫の甲斐絹(かいき)
    菊と紅葉柄の刺繍
    ピエモンテーズ風プリーツ
    レッグ・オブ・マトン袖
    組紐に房と木ビーズ付きのベルト

19世紀末、レッグ・オブ・マトン袖が流行しました。

日本製の輸出用ティー・ガウンにも、レッグ・オブ・マトン袖があらわれました。

 

マンダリン・ローブ風

飯田高島屋 輸出用イブニング・コート輸出用イブニング・コート 飯田高島屋 1903年ころ
「ファッションとアート 麗しき東西交流展」図録より

 

  • 輸出用イブニング・コート
    飯田高島屋
    1903(明治36)年ころ
    白い絹サテン
    菊と流水柄の刺繍
    キモノ・スリーブ
    両脇にスリット
    マンダリン・ローブ風

マンダリン・ローブ風のイブニング・ドレスは、1900年代中頃にアメリカやイギリスで流行しました。

マンダリン・ローブは、一般的に清朝官吏が着用した服を指します。

マンダリン・ローブ風イブニング・ドレスに、

  • 飯田高島屋
  • 三越呉服店

などが日本の刺繍を施して西洋市場向けに輸出しました。

 

室内着としてのキモノ

ジャポニスム06輸出用室内着 飯田高島屋 1906年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • 輸出用室内着
    飯田高島屋
    1906(明治39)年ころ
    灰色の絹平織
    桜の木に留まる孔雀の刺繍
    袖口に組紐と房飾り
    ピンクの袘(ふき)
    裏地は羽二重

私は以前、「室内着としてのキモノ」という記事を書きました。

20世紀初頭には、きものは欧米で新種のおしゃれな室内着「キモノ」となりました。

キモノは、

  • 脇にはめ込まれたマチ
  • 裾に向かってゆるやかに広がった身頃
  • カーブした衿

など西洋市場向けにアレンジされています。

 

日傘

日本製日傘日傘 日本製 1885年ころ
「ファッションとアート 麗しき東西交流展」図録より

 

  • 日傘
    日本製
    1885(明治18)年ころ
    白い絹羽二重
    竹骨40本
    菊、藤、雀、蝶の刺繍

19世紀中頃以降、ヨーロッパの都市空間が飛躍的に整備されました。

そして、女性の外出機会が増えました。

日傘は、帽子などとともに重要なファッション・アイテムの一つになりました。

日本の日傘は、ジャポニスム的なモチーフとして用いられました。

 

絹製のバッグ

日本製バックバッグ 日本製 1900年
「ファッションとアート 麗しき東西交流展」図録より

 

  • バッグ
    日本製
    1900(明治33)年ころ
    白い絹縮緬(ちりめん)
    桜柄の刺繍
    持ち手に2つの房飾り付き
    底にフリンジ付き
    ボタンは薩摩焼
    本体:H.33.0(フリンジ13.0を含む)×W.26.0cm

欧米輸出向けの日本の絹製品として、

  • 日傘
  • ハンカチ
  • 扇子
  • バッグ

が明治期に数多く製作されました。

 

まとめ

野澤屋ショールショール 野澤屋 1906年ころ
「ファッションとアート 麗しき東西交流展」図録より

 

  • ショール
    野澤屋
    1906(明治39)年ころ
    白い絹縮緬
    菊柄の刺繍
    フード、フリンジ付き

19世紀末に日本で作られ、輸出された服を見てきました。

絹を使って、当時の日本人が作ることができる服を作っていました。

服の出来は別として、これはこれで面白いと思いました。

 

久しぶりに、ブログを更新することができました。

5月は、体調不良で長期に渡って寝込んでしまいました。

それから、個人的なことでも社会的なことでも嫌なことがたくさんありました。

今後は、定期的にブログを更新できたらいいと思います。