シャルロット・ペリアン

シャルロット・ペリアンは、日本と関係が深いデザイナーです。
日本との関係を中心に、シャルロット・ペリアンのデザインを見ていきます。

 

シャルロット・ペリアン

シャルロット・ペリアン02シャルロット・ペリアン 1930年
「ELLE DECO No.116 2011年10月号」より

 

シャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand)

  • 1903年 パリに生まれる(10月24日)
  • 1926年 パリの装飾美術学校を卒業
  • 1927年 ル・コルビュジエのアトリエに入所
  • 1937年 ル・コルビュジエのアトリエを退所
  • 1940年 日本の商工省の招聘を受け、輸出工芸指導顧問として来日
  • 1941年 日本の高島屋で「選択・伝統・創造」展を開催
  • 1946年 フランスへ帰国
  • 1952年 ル・コルビュジェ設計のユニテ・ダビタシオンのためのオープンキッチン
  • 1955年 日本橋高島屋で「ル・コルビュジエ、レジェ、ペリアン3人」展を開催
  • 1958年 ジャン・プルーヴェと「サハラの家」を試作
  • 1959年 坂倉準三、進来廉とエールフランス東京支社をデザイン
  • 1967年 サヴォアの「レ・ザルク」の建設関わる(-1987年)
  • 1970年 在フランス日本大使公邸の内装をデザイン
  • 1985年 パリ装飾美術館で「シャルロット・ペリアン大回顧」展を開催
  • 1993年 パリのユネスコ庭園内に「茶室」をデザイン
  • 1996年 ロンドン・デザイン・ミュージアムで
         「シャルロット・ペリアン、モダニスト・パイオニア」展を開催
  • 1998年 自伝『UNE VIE DE CREATION』刊行
         日本で『シャルロット・ペリアン展』開催
  • 1999年 死去(10月27日)

 

シャルロット・ペリアンとル・コルビュジェ

シャルロット・ペリアン03 シェーズロングシェーズロング シャルロット・ペリアン 1940年
「ELLE DECO No.116 2011年10月号」より

 

  • シェーズロング
    シャルロット・ペリアン
    1940年
    「LC4」を日本で素材を竹に変更

シャルロット・ペリアンは1927年に自宅に「屋根裏のバー」を設え、サロン・ドートンヌに参加しました。

これを見たル・コルビュジェは、シャルロット・ペリアンとの協働を求めました。

当時のル・コルビュジェは建築には自信があったものの、内装と家具の刷新には手をこまねいていました。

シャルロット・ペリアンは、ル・コルビュジェのもとで家具やインテリアを担当しました。

 

シャルロット・ペリアンの素材使い

シャルロット・ペリアン04ローテーブル シャルロット・ペリアン 1951年
「ELLE DECO No.116 2011年10月号」より

 

  • ローテーブル「ペタロ」
    シャルロット・ペリアン
    1951年
    カッシーナ社

シャルロット・ペリアンは1927年の「屋根裏のバー」で、

  • ニッケルメッキの銅
  • アルミニウム

などの新素材を多用しました。

この「屋根裏のバー」は、一世を風靡したアール・デコの終焉を予感させる出来でした。

またシャルロット・ペリアンは1940年には、日本で「LC4」の素材を竹に変えてシェーズロングをデザインしました。

スチールパイプを使った「LC4」の原型を保ったまま、

  • アーク

も竹だけで作ろうとシャルロット・ペリアンは考えました。

 

シャルロット・ペリアンと日本

シャルロット・ペリアン05ペリアンチェア シャルロット・ペリアン 1955年
「Casa BRUTUS 特別編集 柳宗理」より
ISBN978-4-8387-8536-0

 

  • ペリアンチェア
    シャルロット・ペリアン
    1955年
    ビーチ(ブナ材)成形合板
    W440×D520×H635、SH435mm
    三好木工(1955年)
    ハードウェア商会(1974年)
    天童木工(1996年)

1940年にシャルロット・ペリアンは、日本の商工省の招聘を受け輸出工芸指導顧問として来日しました。

日本に到着した翌月からシャルロット・ペリアンは、京都を視察しました。

京都に次いで、シャルロット・ペリアンは東北を訪れました。

シャルロット・ペリアンは

  • 仙台
  • 山形
  • 新庄
  • 鶴岡
  • 酒田
  • 秋田

を巡り、制作の現場に入り交流と指導を続けました。

新庄では、

  • 寝椅子
  • カバー
  • 木と竹の小卓
  • スツール

が職人の手で作られました。

 

シャルロット・ペリアンと柳宗理

シャルロット・ペリアン06 メリベルスツールメリベル スツール シャルロット・ペリアン 1961年
「Casa BRUTUS 特別編集 柳宗理」より

 

  • メリベル スツール
    シャルロット・ペリアン
    1961年
    オーク材(無垢)
    直径330×H380mm
    カッシーナ社

1940年にシャルロット・ペリアンが来日した時、案内役をしたのが柳宗理でした。

晩年のシャルロット・ペリアンの自宅では、柳宗理の

  • カトラリー
  • スツール

が使われていました。

この写真のメリベル スツールの上の茶碗は柳宗理から送られたもので、シャルロット・ペリアンが愛用していました。

上の写真は、シャルロット・ペリアンの自宅のテラスの様子です。

テラスにはペリアンチェアに混ざって、柳宗理がデザインしたエレファントスツールが数脚置いてあります。

 

シャルロット・ペリアンとサヴォアの山

シャルロット・ペリアン07レ・ザルク 1967-1987年
「Casa BRUTUS No.141 2011年12月号」

 

  • レ・ザルク
    1967-1987年

シャルロット・ペリアンは、人生の節目ごとにサヴォアの山にこもりました。

シャルロット・ペリアンは、

  • 登山
  • 水泳
  • スキー

が好きでした。

1960年にシャルロット・ペリアンは、サヴォア地方のメリベル山中に自身の山荘を構えました。

そして1967年からは、サヴォアに建設された「レ・ザルク」に深く関わりました。

 

シャルロット・ペリアンとギャラリー・ステフ・シモン

シャルロット・ペリアン08本棚 シャルロット・ペリアン 1983年
「ELLE DECO No.116 2011年10月号」より

 

  • 本棚「プルリマ」
    シャルロット・ペリアン
    1983年
    オーク材、MDF、アルミニウム
    W1770×D430×H1700mm
    カッシーナ社

1955年から1974年にかけて、パリのサンジェルマン・デ・プレに「ギャラリー・ステフ・シモン」というインテリアショップがありました。

「ギャラリー・ステフ・シモン」では、

  • シャルロット・ペリアン
  • ジャン・プルーヴェ

がコーディネートをしていました。

「ギャラリー・ステフ・シモン」から、

がヨーロッパに紹介されました。

 

まとめ

シャルロット・ペリアン09茶室 シャルロット・ペリアン 1993年
「ELLE DECO No.116 2011年10月号」より

 

  • 茶室
    シャルロット・ペリアン
    1993年
    パリのユネスコ庭園内

日本のアパレル業界で成功した人の家やオフィスをテレビや雑誌で見ると、必ずと言っていいほどシャルロット・ペリアンがデザインした家具が置いてあります。

シャルロット・ペリアンの家具が、日本の住宅に合うからでしょう。

そしてシャルロット・ペリアンは、東北地方を特に気に入っていたといいます。

私は酒田や鶴岡の近くで育ちましたが、周りの大人からシャルロット・ペリアンの名前を一度も聞いたことがありませんでした。

そういうところが、山形県庄内地方のつまらないところだと私は思います。