シャルル・フレデリック・ウォルト

シャルル・フレデリック・ウォルト、私が大嫌いなファッションデザイナーの一人です。
しかし彼は、オート・クチュールの祖とも言われています。

 

シャルル・フレデリック・ウォルト

シャルル・フレデリック・ウォルト02ドレス シャルル・フレデリック・ウォルト 1874年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」
ISBN978-3-8365-5719-1より

 

  • ドレス
    シャルル・フレデリック・ウォルト
    1874年ころ
    紫と薄紫の絹ファイユのツーピース・ドレス
    衿ぐりと袖口に絹レース
    胸元と袖口に紫のベルベットのボー
    エプロン型のオーバースカート前面には紫の絹糸のフリンジ
    スカート前面裾に、共布と紫のベルベットを交互に三段重ねたフラウンス飾り

シャルル・フレデリック・ウォルト

  • 1825年 イギリスのリンカンシャー州に生まれる
  • 1836年 父の破産で一家離散
  • 1838年 ロンドンの布地屋スワン・アンド・エドガーに徒弟奉公
  • 1845年 王室御用達の絹物商ルイス・アンド・アレンビーに転職
         パリに渡る
  • 1847年 高級絹物商ガジュランに職を得る
  • 1848年 二月革命
  • 1851年 ロンドン万博開催
         ウォルトのドレスを展示
         ガジュランが金賞受賞
  • 1852年 ナポレオン三世即位
         第二帝政
  • 1855年 パリ万博
         ウォルトのドレスが国際審査で第一席
  • 1858年 パリのラペ通り7番地にワース・エ・ボベルクを構える
  • 1860年 ウージェニー皇妃の公認ドレスメーカーになる
  • 1864年 前面をフラットにしたクリノリンが宮廷で取り入れられる
  • 1870年 第二帝政が崩壊
  • 1871年 ビジネスを再開
  • 1895年 死去

以下の時代を、参考にしてください。

クリノリン・スタイル 1840-1870年ころ
バッスル・スタイル  1870-1890年ころ

 

ウージェニー皇妃のドレスメーカーへ

シャルル・フレデリック・ウォルト03ディナー・ドレス シャルル・フレデリック・ウォルト 1883年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • ディナー・ドレス
    シャルル・フレデリック・ウォルト
    1883年ころ
    ワイン・レッドの絹サテンとカット・ベルベットのストライプ
    薔薇の葉のモチーフはカット・ベルベットとアンカット・ベルベット
    ツーピース・ドレス
    袖口にチュールとリボン飾り
    エプロン状のオーバー・スカート

シャルル・フレデリック・ウォルトは1858年、オットー・ボベルクと共にパリのラペ通り7番地にワース・エ・ボベルクを構えました。

初めにシャルル・フレデリック・ウォルトは、ポーリーヌ・フォン・メッテルニッヒ公爵夫人に、ドレスの受注を願い出ました。

ポーリーヌは、新しい文化や芸術を好むファッションリーダーでした。

ポーリーヌは、ドレスを2着注文することにしました。

シャルル・フレデリック・ウォルトはポーリーヌのために、ピンクのひなげしの刺繍をほどこし、銀のスパンコールをちりばめた白いドレスを完成させました。

このドレスを気に入ったポーリーヌは、チュイルリー宮での舞踏会に着て行きました。

舞踏会でこの優雅な衣装に目をとめたのが、ナポレオン三世妃のウージェニーでした。

翌朝さっそく宮殿に召喚されたシャルル・フレデリック・ウォルトに、
「イブニング・ドレスを1着作るよう。」
との命が下されました。

シャルル・フレデリック・ウォルトは、リヨンのシルクをふんだんに使ったドレスを製作しました。

しかしブロケード織りのシルクを、ウージェニーは、
「絨毯(じゅうたん)みたい。」
と一蹴してしまいました。

(ナポレオン3世とウージェニー皇妃の写真は、「渋沢栄一、パリ万国博覧会へ行く」をご覧ください。)

 

ナポレオン三世に直訴

シャルル・フレデリック・ウォルト04ビスチェ シャルル・フレデリック・ウォルト 1885年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • ビスチェ
    シャルル・フレデリック・ウォルト
    1885年ころ
    オフホワイトの絹ファイユ

そこでシャルル・フレデリック・ウォルトは、ナポレオン三世に直訴する作戦に打ってでました。

絹織物産業の都市リヨンは、第二帝政の政策に反発していました。

そこで、
「このドレスを着ることで、リヨン市民を喜ばせるジェスチャーとなる。」
とシャルル・フレデリック・ウォルトは言いました。

リヨン訪問を予定していたナポレオン三世は、
「シャルル・フレデリック・ウォルトのドレスを着るよう。」
皇妃に命じました。

ウージェニー皇妃はすぐにシャルル・フレデリック・ウォルトの才能を認め、全面的に信頼するようになりました。

このようにして、シャルル・フレデリック・ウォルトは、皇室御用達のドレスメーカーの地位を手に入れました。

 

オート・クチュールの始まり

シャルル・フレデリック・ウォルト05ドレス シャルル・フレデリック・ウォルト 1888年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • ドレス
    シャルル・フレデリック・ウォルト
    1888年ころ
    アイボリーの朝顔柄の絹サテン・ブロケードと絹ファイユのストライプ
    ツーピース・ドレス
    ボディスは絹チュールのジャボ飾り付き
    衿ぐりと袖口にチュールの装飾
    スカート前面に絹チュールのフラウンス飾り

1870年、第二帝政が崩壊しました。

共同経営者のオットー・ボベルクは、スウェーデンに帰国してしまいました。

シャルル・フレデリック・ウォルトは、宮廷という後ろ盾を失いました。

そして初めて、自分がパリモードの世界に君臨していることを知りました。

これまでのファッションは、宮廷の承認が必要でした。

ドレスの美しさを保証する立場が、着る側から作る側へと移った瞬間でした。

「流行の行方を、主体的に決定する存在。」
シャルル・フレデリック・ウォルトが確立したのは、そういう立場でした。

ここにドレスメーカーから、ファッションデザイナーへの跳躍を見ることができます。

シャルル・フレデリック・ウォルトの地位を堅固にしたのが、「オート・クチュール」というシステムでした。

 

オート・クチュールというシステム

シャルル・フレデリック・ウォルト07メゾン・ウォルト 1890年代
「もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」より
ISBN978-4-7661-237406

 

オート・クチュールの新しさは、

  1. ファッションデザイナーがあらかじめ複数のモデルを用意
  2. そのなかから、顧客に選択させる
  3. 顧客のサイズに合わせて製作する

というシステムにありました。

モデルを提示するということは、

  1. 素材(材料)
  2. デザイン(完成図)
  3. パターン(設計図)

が前もって、決定されているということです。

これにより、

  1. 多くの服を作ること
  2. 生産時間を短縮すること

が可能になりました。

シャルル・フレデリック・ウォルトは、顧客に着るものを強制した最初のクチュリエでした。

 

まとめ

シャルル・フレデリック・ウォルト06ディナー・ドレス シャルル・フレデリック・ウォルト 1892年ころ
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より

 

  • ディナー・ドレス
    シャルル・フレデリック・ウォルト
    1892年ころ
    菊柄の入ったオフホワイトの絹サテン
    ベルベットのレッグ・オブ・マトン袖
    袖口とスタンド・カラーにレースの装飾

オート・クチュール展を見に行くと、シャルル・フレデリック・ウォルトの服が飾ってあります。

その度に私は、
「この人、本当に下手だなあ。」
と思うのです。

そして、
「センスが悪いなあ。」
とため息をつくのです。

同時代の服なら、シャルル・フレデリック・ウォルトの服よりも素晴らしい服がたくさんあります。

シャルル・フレデリック・ウォルトは、商売はとてもうまいです。

この商才と時代的な背景で、オート・クチュールのシステムは作られたのでしょう。

しかしこのオート・クチュールのシステムは、今や機能しなくなっています。

プレタポルテでさえ、時代遅れになっています。

新しいシステムが、必要です。

シャルル・フレデリック・ウォルトは、もう忘れられてもいいファッションデザイナーではないでしょうか?

  • 参考文献
    「20世紀ファッションの文化史」
    成実弘至
    河出書房新社
    ISBN978-4-309-24746-5

シャルル・フレデリック・ウォルトとウォルトについては、以下も参考にしてください。

 

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