バウハウスの衣服デザインへのアプローチ

1919年ドイツ初の共和国である、ワイマール共和国が誕生しました。
この年の4月、「ワイマール国立バウハウス」が誕生しました。

 

バウハウス

バウハウス01バウハウス デッサウ校舎 1925-1926年
「20世紀のデザイン」より

 

  • バウハウス デッサウ校舎
    1925-1926年
    ワルター・グロピウス

バウハウスは、

  1. 総合芸術大学
  2. 研究所
  3. 生産企業体

の役割を果たしていました。

バウハウスではモダンで合理的な造形思想に、ロシア・アバンギャルドから流れてきた大胆な色彩と構図が加わり、

  • 建築
  • 家具
  • グラフィック
  • 写真
  • テキスタイル
  • 陶磁器
  • 金属
  • ガラス
  • 壁装
  • 舞台

など、現代の目にも斬新な作品が生まれました。

 

バウハウスの学長と教授

バウハウス02ワイマールのバウハウス展ポスター 1923年
「20世紀のデザイン」より

 

  • ワイマールのバウハウス展ポスター
    1923年
    Fritz Schleifer

バウハウスの歴代の学長は、

  1. ワルター・グロピウス
    (1919年-1928年)
  2. ハンネス・マイヤー
    (1928年-1930年)
  3. ミース・ファン・デル・ローエ
    (1930年-1933年)

の3人です。

バウハウスの教授には、

  • ヨハネス・イッテン
    (1919-1923年)
  • リオネル・ファイニンガー
    (1919年)
  • ゲルハルト・マルクス
    (1919-1925年)
  • ゲオルク・ムッヘ
    (1919末-1927年)
  • パウル・クレー
    (1921年)
  • オスカー・シュレマー
    (1921-1929年)
  • ヴァシリー・カンディンスキー
    (1922-1933年)
  • ラスロ・モホリ=ナギ
    (1923-1928年)
  • マルセル・ブロイヤー
    (1925-1928年)

などの芸術家たちがいました。

 

校舎の移転と終焉

バウハウス04フタ付き箱のデザイン 1923年
「20世紀のデザイン」より

 

  • フタ付き箱のデザイン
    1923年
    Karl Hermann Haupt

バウハウスは1919年、ワイマール共和国の首都ワイマールに設立されました。

以来バウハウスの校舎は、以下のように移転されました。

  1. ワイマール校舎
    (1919-1925年)
  2. デッサウ校舎
    (1925-1932年)
  3. ベルリン校舎
    (1932-1933年)

バウハウスの校舎がワイマールにあった時は、「ワイマール国立バウハウス」でした。

ワイマールが国家社会主義ドイツ労働者党を選出するドイツの最初の都市になったとき、学校への補助金は半減されました。

1925年、ワルター・グロピウスは学校を移転することにしました。

デッサウに校舎が移ると、「市立バウハウス・デッサウ」となりました。

国家社会党は、バウハウスの閉鎖を盛んに要求していました。

国家社会党がデッサウの政権を執ると、1932年8月22日、学校閉鎖の決議が可決されました。

バウハウスはその後、ミース・ファン・デル・ローエによってベルリンで再設立されました。

ベルリン移転後は、私立学校になりました。

国家社会党が、ベルリンの政権を執りました

ゲシュタポが学校の構内に踏み込み、学校を事実上閉鎖しました。

1933年7月19日、教師が集まってバウハウスの解散の投票を行いました。

バウハウスの輝かしい歴史に、正式に終止符を打つものとなりました。

 

バウハウスの授業

バウハウス05バウハウスの壁紙帳 1930年
「20世紀のデザイン」より

 

  • バウハウスの壁紙帳
    1930年

バウハウスとは、「建築の家」を意味します。

バウハウスは、

  1. 教育論の改革
  2. 芸術の統合

を目指しました。

カリキュラムは、

  • 1年の基礎課程(予備課程)
    学生はデザインと色彩論の原則を学ぶ
  • 工作課程
    マイスターによる指導制を採用

に分かれていました。

 

オスカー・シュレンマー

バウハウス06トリアディックバレエ 1922年
「20世紀のデザイン」より

 

  • トリアディック(3組の)バレエ
    1922年
    オスカー・シュレンマー
    バレエのためのコスチューム・プラン
    男2人、女1人で踊り、
    12種の踊りと18種の衣装で構成されている

オスカー・シュレンマー

  • 1888年 ドイツのシュットガルトに生まれる(9月4日)
  • 1903年 象嵌細工工房で工芸デザイナーとしての訓練を受ける
  • 1912年 シュトュットガルトでアドルフ・ヘルツェルに師事
  • 1914年 従軍
  • 1918年 再びアドルフ・ヘルツェルに師事
  • 1920年 最初の舞台作品「トリアディックバレエ」の衣装デザインに取り組む
  • 1921年 バウハウスのマイスター就任
  • 1922年 「トリアディックバレエ」シュトュットガルトで初演
  • 1929年 ブレスラウ・アカデミーの教授に就任
  • 1932年 ベルリンの統合芸術学校教授に就任
  • 1933年 ベルリンの統合芸術学校教授を解任
  • 1943年 死去(4月13日)

バウハウスで衣服デザインと関わりを持ったのは、オスカー・シュレンマーでした。

オスカー・シュレンマーが担当したのは、演劇工房でした。

 

トリアディックバレエ

バウハウス07ストゥットガルト、ヴュルテンベルグ州立美術館
シュレンマー・ギャラリー
「20世紀のデザイン」より

 

オスカー・シュレンマーは、

  • 空間
  • フォルム
  • 色彩
  • 音響
  • パフォーマンス

という総合体のデザインの中で、踊る身体のために服をデザインしました。

「トリアディック(3組の)バレエ」は、第1次世界大戦前から構想されていました。

球体や円錐など空間へのベクトルを感じさせる幾何学的なフォルムと、純粋な色彩の面が追求されました。

実験的舞台芸術における動きは、

  1. ぎこちなく
  2. 機械的
  3. 抽象的

で、「遊戯的」と評されました。

 

まとめ

バウハウス03寝室カーペットのデザイン 1928年
「20世紀のデザイン」より

 

  • 寝室カーペットのデザイン
    1928年
    Lena Bergner

第2次世界大戦後、アメリカでビビッドな独自の芸術運動が爆発しました。

この原動力になったのは、1930年代にナチス・ドイツに終われ亡命を余儀なくされた芸術家たちでした。

多くのバウハウス関係者がアメリカに移住し、バウハウスの教育メソッドがアメリカに持ち込まれました。

バウハウスが与えた影響は、アメリカばかりではありませんでした。

バウハウス・メソッドは、

  • ヨーロッパ各国
  • ロシア
  • 日本

まで、世界中の芸術系の学校に影響を与え、広がっていきました。

 

参考文献

  • ファッションの世紀
    深井晃子署
    平凡社
    ISBN4-582-62034-5
  • 20世紀のデザイン
    シャーロット&ピーター・フィール著
    TASCHEN
    ISBN4-88783-063-7

20世紀のアートとファッションの関係は、以下も参考にしてください。