アズディン・アライアの美しい服

アズディン・アライアの服の写真を、あまり載せていないことに気づきました。
今回はできるだけ、アズディン・アライアの服を掲載しました。

 

アズディン・アライアの経歴の謎

アズディン・アライア06グレース・ジョーンズの衣装 アズディン・アライア 1985年
「もっとも影響力を持つ50人のファッションデザイナー」より
ISBN978-4-7661-2374-6

 

  • 「007美しき獲物たち」
    グレース・ジョーンズの衣装
    アズディン・アライア
    1985年
    グレース・ジョーンズの並外れた長身と存在感を存分に活かした

アズディン・アライアの経歴には、不思議な謎がたくさんあります。

真偽はともかく、いろいろ噂されているアズディン・アライアの経歴について書いてみようと思います。

アズディン・アライアがデザインした、美しい服のヒントになればと思います。

 

 

アズディン・アライアの幼少期

アズディン・アライア07ドレス アズディン・アライア 1987年
「FASHION A History from the 18th to the 20th Century」より
ISBN978-3-8365-5719-1

 

  • ドレス
    アズディン・アライア
    1987年
    緑のウール・ジャージー

アズディン・アライアは1940年ころ、チュニジアのチュニスに生まれました。

アズディン・アライアは、母方の祖父母に育てられたと言います。

アズディン・アライアは近所に住む助産婦のピノ夫人の家に週2回ほど泊り込みで手伝いに行き、賃金を得ていました。

医師である夫を持つピノ夫人は、芸術にも精通していました。

アズディン・アライアはピノ夫人が持っていたピカソやベラスケスの本を読んでは、覚えておきたいものを描き写していました。

仕事が終わって夕方になると、ピノ夫人はアズディン・アライアのとなりに座って洋服の注文をしました。

注文したものが届けられると、ピノ夫人とアズディン・アライアは一緒に包みを開けました。

幸せな少年時代を、アズディン・アライアは送りました。

 

アズディン・アライアと仕立屋

アズディン・アライア08マイケル・ロバーツ画 アズディン・アライア 1990年
「100 years of Fashion Illustration」より
ISBN978-1-85669-462-9

 

  • マイケル・ロバーツ(Michael Roberts)
    「アズディン・アライアのフリンジ・スカート」
    ” The Sunday Times ” 1990年3月
    ペーパー・コラージュ

10代のころ、アズディン・アライアは彫刻を学び始めました。

それは、1955年ころの話です。

しかしある日アズディン・アライアは学校へ向かう途中、仕立屋の窓に裾の始末をする仕事の求人が出ているのを見つけました。

アズディン・アライアは、その場で採用されました。

アズディン・アライアには、パリのオートクチュールデザインのコピー作品を作る仕事が与えられました。

しばらくして、アズディン・アライアは自らドレスのデザインをするようになりました。

アズディン・アライアは、クリストバル・バレンシアガの作品に大変興味を持ちました。

 

アズディン・アライアとパリ

アズディン・アライア09ドレス アズディン・アライア 2000年
「100 CONTEMPORARY FASHION DESIGNERS」より
ISBN978-3-8365-5724-5

 

  • ドレス
    アズディン・アライア
    PHOTOGRAPHY : KAYT JONES
    STYLING : GIANNIE COUJI
    2000年10月

1957年に最初のクライアントの紹介で、アズディン・アライアはパリのクリスチャン・ディオールでの仕事につきました。

しかしアズディン・アライアがクリスチャン・ディオールで働いたのは、5日間だけでした。

正式な書類を持っていなかったアズディン・アライアは、職を失いました。

その後、アズディン・アライアはギ・ラロッシュのもとで2シーズン働きました。

 

アズディン・アライアの1960年代

アズディン・アライア10ドレス アズディン・アライア 2001年春夏
「ヴィジョナリーズ ファッション・デザイナーたちの哲学」より
ISBN978-4-86020-148-7

 

  • ドレス
    アズディン・アライア
    2001年春夏
    写真:アレックス・カイレイ
    スタイリング:ソフィア・ネオフィトウ

アズディン・アライアはデザイナーとしてやっていくために、家事の仕事をして生計を立てていました。

1960年にアズディン・アライアは、ある伯爵家で働くようになりました。

そこでアズディン・アライアは、チュニジア料理を作ったり子供たちの世話をしていました。

アズディン・アライアは、服を作るのと同じくらい熱心にこの仕事に取り組みました。

アズディン・アライアはこの一家を通して、

  • ロスチャイルド
  • グレタ・ガルボ

といったパリの社交界の人々と出会い、彼らのために洋服をデザインするようになりました。

別の本には、「1960年から1965年の間、個人の仕立屋兼コンテス・ド・ベルジェールのプライベート・アシスタントとして働いた」と書いてあります。

その後、アズディン・アライアは婦人服店を開きました。

 

アズディン・アライアとティエリー・ミュグレー

アズディン・アライア11ドレス アズディン・アライア 2001年春夏
「ヴィジョナリーズ ファッション・デザイナーたちの哲学」より

 

  • ドレス
    アズディン・アライア
    2001年春夏
    写真:アレックス・カイレイ
    スタイリング:ソフィア・ネオフィトウ

以前紹介した「田原桂一と山本耀司の対談 METAPHORE 3」のなかに、

田原桂一

それは、たとえばアズディーン・アライアがじわじわやり出したそういうふうな部分と呼応しているんでしょうね。

山本耀司

うん、呼応している。
とにかくヨーロッパのジャーナリストは、アズディーン・アライアが大好きだから。

田原桂一

アズディーン・アライアという、チュニジア人のデザイナー。

山本耀司

オートクチュール系の、いま一番受けてる人です。
サンローランのところにいたテュエリー・ミュグレーのアシスタントをやっていたアズディーン・アライア。
いま独立している。
だから、どっちかというとクリスチャン・ディオールの系譜です。

METAPHORE(メタファー)ISBN4-7630-8619-7より引用

という話が出てきます。

「1970年代の後半に、アズディン・アライアはティエリー・ミュグレーのもとで働いた」という記述は、いろいろなところで見られます。

 

まとめ

アズディン・アライア12ドレス アズディン・アライア 2008年
「100 CONTEMPORARY FASHION DESIGNERS」より

 

  • ドレス
    アズディン・アライア
    PHOTOGRAPHY : SIMON HARRIS
    FASHION DIRECTOR : EDWARD ENNINFUL
    MODEL : NAOMI CAMPBELL
    2008年6月

アズディン・アライアの経歴は、やはり謎に包まれています。

アズディン・アライアは、子供のころは豊かではなかったようです。

しかしアズディン・アライアは、周囲の人たちにとても愛されていたのでしょう。

アズディン・アライアはさまざまな縁で、大勢の人たちと出会いました。

またアズディン・アライアは、自分の生活をとても大事にしました。

私はアズディン・アライアの人生のなかに、これからのファッションデザイナーのあり方を見た思いになりました。

 

アズディン・アライアについては、以下も参考にしてください。